【心理】当たり前でいいの?

日常生活での様々なことについて書きました。



当たり前でいいの?苦しくなるのでは

当たり前だと思う人がいます。

好意で世話してもそれが普通だと思われ、やらないと怒る始末。

世の中のことは当たり前のことはないです。

当たり前の反対の言葉は「有り難い」。

「有る」ことが「難しい」です。

有り難く感じる環境になれば、考えが変わるでしょうか。

●失業してから、会社も仕事もお金のありがたみを感じられる

●別れてから恋人の大切さを知る

苦しむのは、有難さを味わうためです。

感謝することで、当たり前と思わないことができます。

「お客さん来てくれてありがとう」

「なんておいしいあんパンなんだ」

感動を味わえるなら、苦労は良いことでしょう。

怪我あるいは病気で入院し病室の天井を見ているだけの毎日になれば、

健康は有り難い、身体を大事にしよう、となるはずです。

寿命を延ばせます。

病弱な人ほど長生きするといわれるのはそのためです。

辛い思いをして働いて得たお金なら、無駄遣いしないでしょうし、

宝くじでポンと1億円手に入ると、金使い荒くなってすぐなくなるし、

湯水のようにお金を使う習慣がついてしまって破産します。

美味しい物ばかり食べていると、それが当たり前になって、感動しなくなります。

それが幸せだろうか・豊かと言えるのでしょうか。

失敗が多いから、成功がすごい嬉しくなるでしょう。

練習しているからできる~わからない人がいる

自転車・楽器・野球…はじめはみんな上手にできないから練習します。

練習しないでいきなり野球ができる子なんていないはず。

それなのに勉強については「頭いい子はいいよね~勉強できて」という人がいるのです。

それが違う、あなたより何十倍・何百倍も勉強したからです。

ある著名な彫刻家が大金持ちから彫刻の依頼を受けたので、数日で完成させた、

多額の請求をしたら、大金持ちから「たかが数日で完成させたにしては高すぎないか」

と言われそれに対し、

「数日で完成させられるよう、数十年も修行してきた、その分が入っている」と。

短期間でできるようになるには猛練習になり、きつくなります。

キツければ、辛ければ、近道・短期錬成と思えばいいのです。

論理はスキルの一つに過ぎない

例えば三段論法、「AはBである、BはCである、ゆえにAはCである」

分かりやすくて上手に説明できていると思います。

しかしABCとその近辺でしか検討を進められない、枠ではめてしまっているようなもので、

それ以外の分野に触れたり、新しい発想・奇抜なアイデア、「こんなパターンも考えられる」

などに至るのは無理です。

枠の外に出ると、飛躍していると批評されることになります。

論理は説明・説得に役立ちますが、

新しいアイデア・他の可能性・パターンを見つける、大きな感動を生む、

モチベーションアップ、視野を広げる等には不向きです。

良い人でも早く亡くなるのが世の常

幼くして死ぬ人もいれば、悪事を働いて苦しむことなく長寿で死ぬ人もいます。

タイミング悪くて死ぬ人もいます。

人は生かされているだけと思います。

釈迦はキノコに中って亡くなりました。

(的のど真ん中に矢が当たって貫いているさまを横から見てできた漢字が「中」

だから「中」には「あたる」という読み方がある

中毒は毒にあたるという意味

男性の名前でも中と書いて「あたる」さんがいる)

孔子は最愛の弟子に先立たれ、理想の政治がかなわぬまま孤独で亡くなり、

イエス・キリストも磔で刑死。

聖徳太子も奥さんともども伝染病?にかかり亡くなった。

人を導く、徳を積んでいる人でも、不慮の死に見舞われるものです。

良いことをしたかどうか、あまり関係ないようです。

「良い人なのに早く亡くなる」のはそうかもしれません。

だから今をしっかり生きる・楽しむ、過去や未来のことで悩まないことでしょう。

因果通りにいかないことが多々ある

因果律(原因から結果が生じる)は、ある程度はその通りだとは思いますが、

その通りになっていない例はたくさんあります。

途中経過に横入り(仏教用語では縁という)があって、

本来生ずるはずの結果が生じなかったり

全く違う結果になったりすることが多々あります。

そういうこと言われても…

他人は無責任に「こうすべき」「こうしたらいいよ」「常識はこうだよ」

「それだとうまくいかないよ」「お前のためを思って言ってるんだ」

と忠告?することが多いです。

しばらくたってから見解を聞くと、違うことを言うことも多々あります。

「そんなこと言ったっけ?」と。

他人にとらわれず、自分の心に従って動くことが大切と思います。

言葉以上にものをいうものは?

笑顔でハキハキしゃべっていても、手足が震えている、ビンボーゆすりしています。

本心は違うんだろうな…と。

顔はこっち向いているが足(下半身は)早く向こうへ行こうという姿勢。

コミュニケーションは言語(言葉)だけでなく

非言語(思い・声・姿勢・服装)も大事だと痛感させられます。

完璧には伝わらないと、差し引いて考えておく

「聞いてないよ」「言ったじゃないか」トラブルが良く起こります。

相手に本当に伝わっているか、違う表現で質問してみたり、説明してもらったり、

チェックしたり。

表現力だけでなく、察する力、相手は何を考え・イメージしているかの理解力が

必要だと思いました。

教育業を経験したことで、これらを得られました。

警戒・嫉妬よりマシなものは?

人生は限られています。

相性の合う人・良い性格の人とだけ付き合うことです。

警戒され、嫉妬されて足を引っ張られるぐらいなら、軽く見られている方がまだマシです。

「能ある鷹は爪を隠す」「能あるも不能なるを示す」という言葉もあります。

人選び・人付き合いの術を学び、目立たないのが良いです。

わかりやすい人・良い人にならない、何が引き金になって怒るか分からない人です。

本当にお金が欲しいの?

物々交換の時代では

「秋にコメができたらあげるから、今魚ちょうだい」

それが後に米でなく、金・貨幣で魚と交換し始めたのです。

本当は、魚や車やマッサージが欲しいのです、お金ではありません。

しかし日本人はお金のために働いているようです。

先祖は家業を続けてほしいと思っているのか?

先祖が生業として起こした豆腐屋があったとして、

「子や孫たちも豆腐を売れば食べていける」と考えていたとします。

後の子孫が「先祖の創業した老舗豆腐屋を潰したら、ご先祖様に申し訳ない」と

周りの大規模スーパーと競合して、寝不足の中、

子供の学費を稼ぐため夕方からはアルバイトして疲れ切っています。

子孫がへとへとになってまでして

店・屋号を残してほしいと先祖は思っていないでしょう。

「そんなに大変なら店をたたんで構わない」と思っているかもしれません。

屋号を一部あるいは全部残しながら別業種の店を始めるとか。

伝統とは必ずしも江戸時代のまま残さなければならない訳ではないです。

ちょんまげも刀も着物も木造家屋も変わっている…

肉食やイタリアン・中華…味覚も変わっているから、味も変えてよいはず…

先祖の生きていた江戸時代も、室町・鎌倉・平安・奈良時代とはだいぶ変わっていたはず…

その時代に合うように変えていったらよいと思いますが。

簡単にできるとつまらない

何でも実現できてしまうのはつまらないでしょう。

簡単にクリアできるゲーム、面白いのか?

何でもかんでもやってもらえると、無気力になりがちです。

愛の中にずっといると、愛を感じられないし、痛みの下に楽しさがあります。

辛い(つらい・からい)に横棒一本入れると、幸(さち・しあわせ)になるのです。

陰陽、プラスマイナスでゼロと言われますが、ゼロは何もないわけではないのです。

プラスとマイナスが同数・同量あるということです。

原子核の+と電子の-で全体として電気的に0になってるだけで、

電気がないわけではないのです。

良くないこと(マイナス)続きでも、必ず良いこと(プラス)が起こります。

だから良くないことを貯めていくのが良いと思います。

足りないことに目を向けると…

足りないことに目を向けると、本当に足りないように思えてくる。

「痛みはないの?」と聞かれると痛みを探すようになり「そういえば、ここが痛いかも」

「楽になったでしょ?」と聞かれると「そうだな、痛みが和らいだ」となる

原理がわからなくても、とにかく使えばいい

嫌な気持ちへの対処は…

「嫌だ」と思っていることは起きてしまいます。(引き寄せの法則)

閉じ込めている感情は無意識的に出てきてしまいます。

そこで、「よし、よし」と受け入れる、認めることです。

感情を閉じ込めたら噴き出してきてしまうでしょう。

大変だ、嫌だといっていたら何もできないから、その思いを祓って

終わったらすがすがしい気持ちになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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