このサイトは、以下の方への情報・知識・知恵の提供をしています。
●神道・神社や日本の伝統文化に興味のある方
●開運・強運・運氣アップしたい方
●生き方・人生論・哲学を探求されている方
●東洋の叡智を学びたい方
●生き方・メンタルをパワーアップ・バージョンアップしたい方
日本的生き方・哲学、それが神道です。
古事記など神話では、神々はたくさん失敗しています。
●天照大御神が天岩戸にひきこもる
●スサノオ命が母恋しさに泣きわめく
●スサノオ命が高天原で暴れる、機織りの女性を死なせる
●スサノオ命の悪行に八百万の神々は見て見ぬふり
●大己貴命はやさ男「いい人」でいじめられる
●イザナギ命は妻との約束破る
●「自分の子供か」と妻を疑ったニニギノ命
●海幸彦は自分の釣り針をなくした山幸彦に理不尽なクレーム
…
「神様はすごいんだから、神社に参拝しましょう!」
というのなら、
成功話だけで神様をたたえるだけでいいのに、
なぜ失敗談をたくさん載せているのでしょう?
…
神々でさえも失敗するんだから、
私たちも失敗しても落ち込むことはない!
失敗しても乗り越えればいい、これが神々のメッセージです。
全知全能(本当に?)を標榜するエホバやアラー(存在するの?)と大きく違います。
…
未熟でもいい。
昨日より一歩でも進めばいい。
一歩も進まなくてもいい、
今日も頑張って生きていればそれでいい。
進むどころか後退かもしれない、
それでもいい、後で挽回すればいい。
…このような考えです。
天照大御神もスサノオ命も大己貴命も、
立派な神々に成長しました。
神々はあえて恥をかいて手本として、
生き方を教えてくれています。
神社参拝はそのような神々と周波数を合わせて、
参拝した人が力を尽くす誓いをする、
神との交流・コミュニケーションの場です。
尽力している人に神は力を貸します。
尽力していないのに「神様、願いをかなえて」では、
逆に神は怒ります。
日本には仏教も儒教もキリスト教も入ってきているように、
どんな宗教を持っている人でも分け隔てることがありません。
「和をもって貴しとなす」(十七条憲法)にあるように、
なんとか和を乱さないようにしようとします。
差別の解消や世界平和に貢献できます。
自然を神ととらえるので、自然を大事にして、生活する環境を向上できます。
言霊信仰があり、きたない言葉で口論しません。
なるべく良い言葉で、心地よい生活をしようとします。
それというのも、神道は生き方・哲学だからです。
人も先祖も自然もみな神として扱い、どうしたらこの世を高天原(理想的な世界)にできるか、
人も自然動植物も共存共生できるか。
人もどうしたら幸せに弥栄(いやさか~ますます栄えること)できるか。
それを追求します。
天国や極楽を死んだ後に捉えるのではなく、生きている今に実現しようとします。
だから、神社で神様に祈るだけではありません。
わだかまりや思い込みを祓って、心をリフレッシュして、行動します。
私たちはこの世に
使命(やるべきこと・やりたいこと)をもって
生まれてきました。
それを実現するために、
その人に性格や才能・能力が与えられています。
生まれながらに作曲の才能があったり、
人見知りで人付き合いしないから実験に打ち込めるなど、
人によって異なるのはそのためです。
「できない」ことは
「それをやる必要がない・使命ではない」
のかもしれないし
「できなかった⇒できるようになった」
という達成感を味わうためかもしれません。
性格や才能はオプションにすぎないのです。
しかし生活や仕事、親や教師や社会からの洗脳で
使命を忘れて、
「なんでこんな性格なんだろう」
「こんなこともできないのか」
「恥ずかしい」などと
自分を責めがちです。
それを克服して、この世でいろいろな学びと体験をして
あの世に待っているご先祖さんや旧友に
土産話を持っていきたくありませんか?
「こんなことをやって来たんだよ」
「これを克服したらこんな世界を体験できたんだ」
などを話すと、
この世(物質界・肉体界)で挑戦したいと思う方々が増えます。
この世はゲームだと思うのです。
生まれ持った性格や才能などはアイテムです。
テレビゲームでは剣やパワーや技や魔法などとされます。
修業を積んでアイテムを増やしレベルアップします。
困難に挑戦し克服(ゲームで言うと魔物を倒す)、
スキルやお金やパートナーをゲット(宝物に相当)、
そして
勇者や冒険家のストーリーが出来上がります。
現実になったゲームが人生です。
●もともと内気だったけど、
初対面の人に話しかけられるようになった
●人前に出れなかったけど、
セミナーやツアーを開催している
●いい人ぶってたけど、
文句言ったり怒ったりできるようになった
●自分は人間の器が小さいことを認められるようになった
●ほかの人に慈しみ・同情・共感を感じられるようになった
●自分のことで精いっぱいだったが、
他の人の手助けできるようになった
●算数で0点取ったが、数学で100点取った
●身体が貧弱だったけど、病気しなくなって筋肉もついた
などの現実体験は、
ゲームで主人公がレベルアップしていく流れと同じです。
私たちの寿命は80年・100年と限られています。
私も45歳になりますが、あっという間です。
この寿命というタイムリミットがないと、
何をするかという使命を真剣に行わなくなります。
永遠の肉体の命があったら
「そのうちやればいいや」となってしまいます。
寿命・タイムリミット・期限は必要です!
使命とは「自分の命をどう使うか」「何をやるか」
ということです。
喜び・悲しみ・笑い・くやしさ・怒りを味わいながら、
この世を思いっきり生き抜く、
そんな生き方をしたくありませんか。
神社で祀られている神々は
まさにそんな生き方をされてきたのです。
たとえば
●学問の神、菅原道真公(天満宮、天神、北野神社など)。
●貧しい農家の出ながら家と地元を復興し、
小田原藩の殿様から農業経営を任された
二宮尊徳(二宮神社など)。
●コレラを収束させるよう尽力した20代前半の
増田巡査を祀った増田神社(佐賀県)。
●その他、明治神宮・松陰神社・東郷神社・乃木神社・平田神社など、
尊敬された方々が神として祀られています。
神とは先祖で先輩であり、
「このような生き方もある」という手本でもあり、
「あなたもできるよ」という励ましでもあります。
その手本の神の生きる道を示してくれているので、
「神道」です。
人々に尽くしたり、手本となったり、尊敬される
生き方をしている人が「神」となります。
「あなたも神ですよ、神の生き方をしませんか?」
これが神道です。
「あなたは神ではありません・神にはなれません、
あなたの上に神がいるから、その神を信仰しましょう」
という宗教とは違います。
神社参拝を見て「宗教じゃないの?」といわれます。
神社の本殿には鏡がご神体として置かれていることが多いです。
鏡に映る「あなた」が神ですよ、ということなのです。
願い事を叶えるのは、神である「あなた」です。
宗教は、神様仏様や教祖からの教えによって救っていただく、
そんな考えです。
神道は、神は「あなた」なんだから、
「あなた」が力をつけて成長すれば願い事はかなう、のです。
「あなた」が宇宙の中心なのです。
#神道 #神社 #宗教 #信仰 #仏教 #教え #死後 #歴史 #伝統 #天皇 #祭祀