【パワースポット巡り】相模国一宮 寒川神社

全国唯一の八方除けの守護神です。

朝廷をはじめ、源頼朝、武田信玄、徳川家代々などから幅広い信仰を集めています。

歴史や地形を基に、他とは異なった視点で解説します。



パワースポットラインの寒川神社の位置

下の地図をご覧ください。

●上総一ノ宮玉前神社

●相模一ノ宮寒川神社

●富士山

●身延山久遠寺

●美濃一ノ宮南宮大社

●伊吹山

●竹生島(弁財天)

●大江山(元伊勢)

●三徳山三佛寺

●大山

●出雲大社

名だたる神社・寺院・霊峰が一直線に並んでいます。

これは春分の日・秋分の日の太陽の通り道で、

太陽の道・レイラインと呼ばれています。

この並びのパワースポットには太陽のパワーが充実しているうえに、

それぞれのパワースポットの相関・相互作用によりさらにパワーが増します。

参拝に訪れることをお勧めいたします。

参考:

パワースポットを並べてみると…規則性が | ヒデ神社

内陸の寒川は、1500年前は海のそばだった

下の地形図は、国土地理院の地形図を基に、私が手を加えたものです。

今から1500年前、つまり西暦500年代の寒川付近の地形図です。

当時の推定海岸線は、フリーハンドで上手くかけておりませんがご容赦ください。

6000年前の縄文中期ごろとされている、西方貝塚(茅ヶ崎市)と五領ヶ台貝塚(伊勢原市)は

地図中それぞれの場所ですぐ近くまで海が迫っていたことになります。

1500年前になると海がやや後退しているが、それでも相模平野のかなり広い部分は

入り江になっていたようです。

『日本の聖地文化~寒川神社と相模国の古社』鎌田東二 編(創元社)

を参考にしております。

1000年前の平安時代、『更級日記』菅原孝標女は、

上総国国司であった父と京に戻る途中の景観などを日記としてつづってあります。

武蔵国から相模国に足を踏み入れたところに以下の記述があります。(旧東海道中)

「にしとみといふ所の山、絵よき書きたらむ屏風をたてならべたらむやうなり」

ここで「にしとみといふ所の山」とは、神奈川県藤沢市の藤沢駅北1キロメートルの

「遊行寺」周辺の地名「西富」を指すとされます。

その後で

「片つ方は海、浜のさまも、寄せかへる浪の景色も、いみじうおもしろし」

海・浜ということなので、今はビル街の藤沢駅からだいぶ北まで海だったことになります。

上述の地形図での推定海岸線は正しいと思われます。

また安藤広重の『東海道五十三次 平塚』の浮世絵に描かれた景観は

道と湿地の標高差がほとんどないものとなっています。

古い時代にはここは海と考えられます。

寒川神社の歴史は、約1600年前の雄略天皇時時代にまでさかのぼるとされています。

平安時代前期の延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では、相模国唯一の国幣大社として、

朝廷の名神祭にあずかる名神大社に列挙された、格式ある神社です。

相模湾の入り江の最も奥に置かれたと考えられます。

寒川神社の東側には、岡田遺跡という三内丸山遺跡に匹敵する、

日本最大級の縄文中期の遺跡があります。

縄文時代の人々が祈りをささげていた場所が、寒川神社のある場所だとしたら、

寒川神社の歴史は縄文時代にまでさかのぼる可能性があります。

寒川神社の起源と考えられているのが、本殿背後にある「難波の小池」です。

この泉からは豊富な清水がこんこんと湧き出ており、

田畑の農業用水にも使われていたようです。

この農作物を育てて人々を生かしてくれることへの崇敬、

水の神様への信仰が寒川神社の起源と思われます。

日本一御祈祷の多い神社!を体験した

『日本の聖地文化~寒川神社と相模国の古社』鎌田東二 編(創元社)によると、

年間参拝者数200万人のうち、30万人が御祈祷を受けているとのことです。

2012年での統計なので、今現在は変化しているかもしれません。

85%が八方除け、残る15%が交通安全と七五三とのことです。

二番目に祈祷の多い神社でも3万人ほどですので、

ダントツの参拝者数であることがわかります。

日本全国唯一の八方除け神社ということですので、

全国から八方除け御祈祷を受けにいらしているようです。

ちなみに私が御祈祷を受けた時のことを書きます。

2025年5月24日土曜日で、三連休などではありません。

●10時半すぎに寒川神社到着

●すでに30人ほど御祈祷の申し込みで並んでいた

●願意を聞く・相談受ける神職の受付が4窓口ある(ふつう1か所)

●受付を済ませてから御祈祷料をお支払いする窓口が一か所

●列に並んで受付完了まで約15分

●御祈祷受ける人の待合室は1階2階の2部屋もある!

●待合室で20分ほど待つ

●11時10分から11時30分まで御祈祷

●参列者数は100名を超えていた!

●参列者の住所・氏名を読み上げるのは、神職2名がそれぞれの名簿?を同時並行にてマイクで読み上げた、大人数のため5~10分くらいかかったか

●神札・授与品の受け渡しは神職4~6人くらいで行っていた

これだけの大規模さにびっくりしました。

御祭神が謎である、珍しい神社

寒川神社で祀られている神は、

寒川比古命(さむかわひこのみこと)・寒川比女命(さむかわひめのみこと)の二柱で

寒川大明神とされます。

これは古事記・日本書紀の記載のない、謎の神様です。

この神様の正体について諸説あります。

●大水上命(おおみなかみ)の御子とする説

●佐河大明神(『吾妻鏡』)

●八幡神(『諸国一宮神名帳』)

●菊理媛命(『惣国風土記』)

●澤女神(神名帳考証、神名帳注釈)

●素盞鳴命と稲田姫命『旧神詞記』

●大己貴尊『一宮巡詣記』

●出雲系の諏訪の神、建御名方神との説~『竜神よ、我に来たれ』吉田大洋(ヒカルランド)

『アラハバキ・まつろわぬ神』戸矢学(河出書房)によると要約ですが、

●「寒川」とは当て字で古い文献によると、佐河神社・佐河大神とあり、海人族由来

●「さがわ」「さが」が本来の読み方

●国名の「相模(さがみ)」であるが、これも当て字で、もとは「さ・かみ」

●佐河比子・佐河比女ともに、水由来の海人族の神であろう

●「佐河の神」の国の意味であって、「さ・がみ」に相模の文字を当て「さ・がわ」に寒川の文字を当てたことで由来は不明になってしまった

●神体山の神嶽山に降臨したとされているが、ここが「佐神(さがみ)」の国の発祥地

とのことです。

大和朝廷が東国を従える際に、現地には異なる民族・部族がいたと考えられ、

彼らが祀っていた神が「アラハバキ」と言われます。

「さ」「さむ」には「聖なる」「清らかな」の意味があるとされます。

縄文時代、目の前には相模湾の入り江、そして相模川の河口がこのあたりに推定されます。

海の幸・川の幸が両方採れ、難波の小池など清水も豊富に湧いていたようです。

西には丹沢と富士山を眺めることができ、浜辺と風光明媚と想像できます。

縄文人にとっては住みたくなる魅力的な場所と考えられ、

上述の通り日本最大級の岡田遺跡がある通り、多くの人が住んでいたことでしょう。

この土地に誇りと愛着を持ち「さかわ」「さむかわ」と呼んだのでしょう。

土着の海人族の神と考えるのが素直と思い、戸矢氏の説をとりたいです。

もともと禁足地だった神嶽山神苑に入れる!

2009年から、祈祷を受けた人のみ神苑に入ることができるようになりました。

寒川大明神が降臨された聖なる土地のため、禁足地として入ることができませんでした。

とても素晴らしい場所であり、お勧めいたします。

①難波の小池

寒川神社発祥の地とされ、太古の昔からの湧き水がこんこんと湧き出ています。

写真撮影禁止のため、寒川神社さま提供の画像を使用しております。

②神嶽山(裏参拝所)

寒川大明神が降臨された神域とされています。

この鳥居の先に、神嶽山→難波の小池→本殿とあります。

③八氣の泉

鳥居の台座の石を加工したそうです。方位を表します。

④神池

良い氣を伝えたく、池の動画をアップしております。

水に由来する神さま・神社らしい、気持ちの良い神池です。

寒川神社へのアクセス

JR相模線の宮山駅からですと徒歩11分で到着できます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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