青森県弘前市にある、北門鎮護 岩木山(いわきやま)神社を紹介します。
この記事の目次
岩木山神社の由来・歴史
岩木山神社は、津軽富士とも言われる岩木山の南東麓にある神社です。
「お岩木さま」「お山」「奥日光」とも呼ばれます。
特徴としては
●旧国幣小社(明治~昭和前期まで国で運営)
●津軽一宮(津軽地方で最も重要)
●津軽開拓の神、農海産物の守護神
●本州の北の守護神ということで北門鎮護
●色とりどりの絵・彫刻の本殿は、日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれる
●福の神様
岩木山神社さま公式HPによると、
約1200年前、宝亀11年(780)に社殿を山頂に創建
延暦19年(800)に、征夷大将軍 坂上田村麿がこれを再建し、
山麓である十腰内の里に下居宮を建立。
山頂を奥宮と称し、寛治5年(1091)神宣により、下居宮を現在地に奉遷。
江戸時代には津軽藩主 為信・信牧・信義・信政により大造営。
日本の北門鎮護の名社として、農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、開運福の神。
※小林追加
田村麻呂は、御祭神として父の刈田麿も合祀したとされます。
下居宮(おりいのみや)=麓宮、現在の厳鬼山神社です。
百沢(ひゃくたく)地区という地名から、神仏習合(神も仏も同じものと考えた)として
百沢寺岩木山三所大権現と称したとのことです。
岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂もあったそうです。
天正17年(1589)岩木山の噴火により当時の百沢寺は全焼したものの、
慶長8年(1603)津軽為信より再建が始められ、津軽藩の総鎮守とされました。
明治維新の神仏分離により寺院を廃止し、津軽総鎮守・岩木山神社となり、
明治6年(1873)国幣小社に列格しています。
岩木山神社の御祭神
お祀りされている神様を知ることは、以下の理由により非常に重要です。
①神様をお祀りしてお喜びいただくことで御利益をいただくのが神社祭祀であることから、神様のお名前も知らないのは失礼にあたること
②人間でも自分のことをよく知っている・調べてくれている相手には好印象を持つ、同様に神様も自分のことをよく知っている人を御ひいきしてくださるから
③神様ごとに御神徳(得意分野)が異なるため、願い事に合致する御神徳の神様に参拝するのが良いから(ただし産土様・氏神様・その他ご縁のある神様は別)
④ご先祖様がよく崇敬していた神様・あなたと相性の良い神様・ご縁のある神様を参拝するのがよりご利益をいただけるため、神様のことをなるべく知っているのが好ましいこと
⑤逆に、ご先祖様・あなたと相性があまりよくない神様を知っておくこと
そのため、岩木山神社さま御祭神を以下記します。
五柱の神を岩木山大神として祀ります。
①顕国魂神(うつしくにたまのかみ)=大国主神
②多都比姫神(たつびひめのかみ)
③宇賀能売神(うかのめのかみ)
④大山祇神(おおやまつみのかみ)
⑤坂上刈田麿命(さかうえのかりたまろのみこと)
①顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
顕国魂神さまとは出雲大社など様々な神社でお祀りされている、
国津神の代表格、大国主神です。
古事記にも、5つの名前を持つことが記されています。
●大国主神
●大己貴命/大穴牟遲神(おおなむちのみこと/かみ)
●葦原色許男命(あしはらのしこおのみこと)
●八千矛神(やちほこのかみ)
●宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
出雲の経営に成功し、そのため事業成功・経営そして開運の神様です。
古事記・日本書紀では、国譲りをし出雲大社創建の話はありますが、
その後の大国主神の行方が不明です。
そのため、幽閉された・殺害されたなどの推測がされています。
しかし『秀真伝(ほつまつたえ)』では津軽に隠遁し開拓を行ったとされています。
そのため津軽は第二の出雲という著者もいます。
『謎の弁財天女+謎の津軽第二出雲王朝』吉田大洋(ヒカルランド)
②多都比姫神(たつびひめのかみ)
水と関係が深い女神・龍神様です。
白雲大龍神としても知られる水神の荒魂(あらみたま)です。
③宇賀能売神(うかのめのかみ)
衣食住を司る神様であり、特に稲作を中心とした農業に強く関わり、
五穀豊穣や商売繁盛の御利益があります。
④大山祇神(おおやまつみのかみ)
山岳信仰の対象で、岩木山全体の神様です。
金運や土地の守護の御利益があるとされます。
⑤坂上刈田麿命(さかうえのかりたまろのみこと)
前述の通り、征夷大将軍 坂上田村麻呂のお父さまです。
実在した人物で、武勇や開拓の象徴とされています。
神社境内の見どころ
①境内の全体像
境内は以下の図のようになっています。
奥宮(岩木山頂上)から麓へ一直線で下ってきた場所に、下居宮(岩木山神社)が
位置している、珍しい位置関係になっています。
さらに岩木山には3つの頂上(峰)がありますが、
弘前側から見て左から、鳥海山・岩木山・巌鬼山であり、
これらを「山」の漢字のように見られます。
下に画像を貼り付けてあります。
②出雲とのつながりを感じられる出雲神社
参道途中の左側には、三つある末社の一つ、出雲神社があります。
岩木山神社の主祭神、顕国魂神様に縁あって、出雲系の神社のようです。
狛犬の代わりに、大黒様と恵比寿様の像なのが珍しいです。
③水量豊富でパワーを感じられる禊所
禊(みそぎ)所が有名です。
岩木山からの伏流水で、御神水です。
長い柄杓(ひしゃく)が特徴的です。
激しい水の流れで清められます。
御神水はペットボトルに入れて持ち帰ることができますが、
神社の注意書きには、「生水のため煮沸してください」とありました。
④稲荷社と白雲大龍神社
先ほど末社が三社あると書きましたので、残り二社を紹介します。
まず稲荷神社ですが、狛犬が狐像ではなくこれも珍しいです。
次いで白雲大龍神社です。
幡(はた)がたくさん奉納されており、崇敬・信仰されていることがよくわかります。
神社前の神池には、オタマジャクシがたくさん泳いでおり(7月下旬時点)
生命力豊富な池でした。
⑤なぜ寺院の楼門が?寺院時代のものだから
寛永5年(1628)、2代藩主津軽信枚により、百沢寺の山門として建立。
そのため仏教寺院の雰囲気が強く残ります。
⑥岩木山神社と言えば…あの有名な狛犬像
巷の情報では、上向きが金運アップ、下向きが恋愛運アップらしいです。
⑦中門~日光のような彫刻
元禄7年(1694年)四代藩主・信政により建立。
間近でみられる豪華な彫刻です。
本殿の彫刻も見事ですが、撮影できませんでした。
⑧御祈祷~拝殿内
拝殿内部に上がって受付してくださいと掲示されていたので、
靴を脱いで上がり、右側に神職さん一名に受付していただきました。
拝殿前の注連縄がありますが、注連縄にも種類があり、
●鼓胴型(こどう):真ん中が太く、両端が細い
●牛蒡型(ごぼう):片方が太く、反対側は細い
●一文字型:すべて均一の太さ
下写真の注連縄は、鼓胴型です。
⑨本殿遠景・参道光景・社務所
本殿の遠景です。
本殿自体にも立派な彫刻が施され、本殿前には奥門があります。
御祈祷時の拝殿内からしか見えなかったため、画像はありません。
このような立派なつくりはめったにありません。
楼門前からの参道光景です。
社務所です。
津軽の殿様がいらしたときの休憩所として建てられたそうです。
御祈祷は何をするのか
御祈祷は
①御祓い
②祝詞奏上
③玉串奉奠(たまぐしほうてん)
④授与品の受け取り
の流れで進みます。
①御祓いは、神様からの御利益をいただくのに参拝者が穢れては受け取れないため、
穢れを祓う(無くす)ことです。
多くの神社では以下のような祓串(はらいぐし/はらえぐし)を使用します。
岩木山神社さまは下写真(拙宅で私が個人的に作成したもの)の
より大きな祓串を使用されました。
大麻を使用した祓串が本来とされますが、上写真のような和紙を使用した祓串でも良いです。
②祝詞奏上は、参拝者と神様との取次役である神職が
参拝者の祈りごとを神様に申し上げる(宣る:のる→のりと)ことです。
神様に毎日奉仕されている身近な神職の取次を、
神様はより聞き入れてくださるとの考えがあります。
③玉串奉奠(たまぐしほうてん)は、
下写真の榊に和紙の紙垂(しで)をつけたものを玉串と言います。
②祝詞奏上で神職に取り次いでいただいた参拝者が、
玉串に祈りごとを念じて神様の前に置き、礼拝するという、御祈祷のメインになります。
④授与品の受け取りは、神様の氣(パワーのことです)の入った神札・お守り等、
その他撤饌品(てっせんひん)をいただきます。
神様にお供えされていた神酒・食物には氣が入っており、
飲食することで氣を体内に取り込めるという考えによります。
岩木山神社さまの御祈祷授与品です。
下の写真、献饌札(左)は、参拝の証で、福の神様を家に招くための札、
福徳円満を記念して家の入口(玄関)に貼るとのことです。
下の写真、上の黄色い牛王宝印(ごおうほういん)は、
風(空気)の移動により襲い来る災難や邪気を八方除けの祓をするもので、
同じく玄関に貼るようです。
赤い火除札と青い御水札は、火と水に感謝するお札で、
御祭神の多都比姫神(たつびひめのかみ)(龍神様)の御神威によるそうです。
撤饌品は、多くの神社では神酒・干し餅をいただくことが多いです。
岩木山神社さまでは、干し餅・お茶・昆布をいただきました。
ホツマに記載の古い津軽の歴史
古事記・日本書紀の原典と言われる、秀真伝(ホツマツタエ)によると
●オホナムチ(大己貴命/大国主神)は慢心からイツモ(出雲)を追放される
●アソへ(後のツカル)の地を賜る
●右の臣も解任される
●キ(東)、ツ(西)、オ(中央)、サ(南)、ネ(北)では「都」になる
●南を上、北を下としていたため、右は西(ツ)になる
●右(ツ)をカル(枯れる・罷免~まかる)から、アソへに代えてツカル(津軽)になった
『ホツマ辞典』池田満 展望社
大国主神は津軽開拓に尽力し豊かな土地にしたことで岩木山神社にてお祀りされており、
この神社あたりが大国主神のお宮のあったところではないかと思われます。
津軽の古名「アソベの森」はホテル名にも残っており、
宿泊して岩木山神社さまへ参拝しました。
「アソベ」の名前についてですが、
「アサマ」が火山を意味する古名で、そのため富士山の神をお祀りする神社が浅間神社です。
アサマがなまったのが「アソ」(熊本の阿蘇山)と思われ、
岩木山も火山で「アソ」でその辺り「ヘ」で「アソへ」に
なったのではないかと考えています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。