重要であるけれども、まとめずに要点だけを書いたものです。
『古事記と現代の予言』谷口雅春著 日本教文社
「高天原に成りませる」→宇宙全体に鳴り響いていた
天之御中主神は宇宙のどこにも遍満し、充ち満ちて、鳴り響いておられる神
「成りませる」と現在活用…神が宇宙遍満していられるのは永遠の現在
宇宙の一番初めの元の神様に名前はない
元の神様は一つだから名前なんかない
神様に名前を付けるのは、人間が区別のために名前を付ける
いろいろの宗教に従ってその本尊の神様に対する名前のつけ方が違う
ある場合には「天之御中主神」と名付け、ある場合には「阿弥陀」と名付け、
ある場合には「エロヒムの神」と名付け、ある場合には「ゴッド」と名前を付けたり
「名前が違うから別の神様である」と、こう勝手なことをいう
本来名前がない本源の神様に、勝手に名前を付けておいて、
「これは別の神である」というのは変
かぼちゃでも、その植物の果実そのものには名前はない。
「かぼちゃ」という人もあり、「なんきん」という人もあり、「とうなす」という人もある。
「これはカボチャです」というと「いや、それはナンキンじゃ」という。
…人間が勝手に名前を付けておいて、名前が違うから別のものだというのは大変な間違い
「天之御中主神」の「中」というのは、この天球の真ん中だけにましますのではない
『中庸』という書物に
「喜怒哀楽未(いま)だ発せざるを中という。発して節に当たるこれを和という」
現象がいまだ起こっていないその本源なるものが「中」なのであります。
「中」とは偏らないのであります。
現象が現れるということは、すべて、ある自己限定をして偏りによって現れてくるのです。
例えば○が現れてくるのは、〇という形に偏っているから現れているのである。
△でもなければ□でもない。
○を離れ□を離れて△に偏っているから三角形が現れている。
あるものに偏らなかったら形というのは現れてこないのです。
「中道不偏」であって、「中」は偏らない。偏らないと形というものは出てこない。
宇宙の本源で、どこにも偏らない…主なる神様が天之御中主神であるわけです。
この主なる神様がキリスト教で「主よ、主よ」という神様であります。
キリスト教と神道と非常に違うように思う人もある
…すべて同じように一致して争いがなくなるのです。
英訳の旧約聖書を見ると、「主」というのはロード(Lord)、
…宇宙の御中に主なるところの神様
天之御中主神は本源の神様ですから、この神様は、男にあらず女にあらず、
陽にあらず陰にあらず、地にあらず天にあらず、白にあらず黒にあらず七色にあらず
どんなものでもない。
しかし、一切のものがその中にあるのであります。
太陽光線の無色が、いろいろのものに触れて反射すると赤くもなるし、橙色にもなるし、
黄色にもなるし、緑色にもなるし、青色にもなるし、藍色にもなるし、すみれ色にもなる。
七色に分光するけれども、その七色が一つに統一されたなら、もうどんな色もない。
…太陽光線は無色なら全然色がないかというと、その無色の中に一切の色があるのである。
…天之御中主神は一切のものが自分の中にあるけれども…どんな姿も現れてない
「命(みこと)」というのは「御言」という意味である。コトバが神である。
これがキリスト教の聖書『ヨハネ伝』の冒頭に
「初めにコトバあり、コトバは神とともにあり、コトバは神なりき。
…万の物これによりて成り」
とこう書かれているのに一致するのであります。
…
今この空間には、何ら言葉がないように見えますけれども、
ここへラジオを持ってきて波長を合わせますと、じきに言葉が出てくるのです。
この目に見えない空間に…言葉の響きが充ち満ちていてそれがここにも来ているので、
それに波長を合わせてそれを捉えるだけのことであります。
それに波長を合わせず、それをとらえなかったら言葉があっても聞こえない。
コトバというのは物理的な言葉だけじゃない、宇宙の始まりのコトバというのは、
「想念」つまり「心の想い」であります。
未だ物質も何もできていない時、そこにあるのは非物質のものだけであります。
…非物質のものが発してきてある形に現れるのです。
何かその形の原型を心に思い浮かべることによって、
成立要素である素粒子の…配列するわけです。
宇宙の根源である普遍の神なる天之御中主神というのは陰陽左右どちらにも偏らない神様
『古事記』には
「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」
「高御産巣日神」の
「たかみ」の「た」は高いとかたくましいとか、凧、立つとか、上に秀でている意味
「神産巣日神」の
「かみ」は「高い」に対して「下身(かみ)」をあらわし、
もう一つ「御(み)」をつけると「かみみむすび」と重なるために「ミ」を一つ省略
タカに対して低い方をカ(下)
「かすか」「かおり」「かすみ」「かぜ」
表面的には見えない目立たない縁の下の働き・女性の働き
タカは、男性的
「ムスビ」というのは、左の紐・右の紐を結び合わすと美しい複雑な形が現れる
「新価値の創造」
左と右、陽と陰が完全に結び合うと、「新しき価値」がそこから生まれてくるのであります。
宇宙の本源の本来一つの神様が二つに分かれ、陽と陰に分かれたのが、
それが再び一つに結ばれて「新価値を生み出す」働きをする二柱の神
お米を「蒸す」
火は縦に昇る働き、水は水平で横一晩米に染み込んでいる
「陰」(水)と「陽」(火)と縦と横との結びにより「うまい」「おいしい」という
「新価値の創造」が出てくる
そのままでは一粒一粒がバラバラなので、つき固めて餅にする
一つに統一するには努力が要り「つく」という鍛錬によって粘りが出て餅になる
それを心の鏡にするから「鏡餅」
円満な丸い心になって、夫婦家族一体となって丸く仲良くしなければならない
心を一つにするという反省
正月つまり年初めに新たに生まれるつもりで決意
お米を生して、手で握り「むすび」ますと「おむすび」というのができる。
「おむすび」とは「握り飯」のことですね。
握り飯は、あのバラバラなご飯を食べるよりも、しんみりした味が加わっています。
…あれは本当に新しい味が加わっているのです。
手のひらからは霊気が出ているのであります。
ヨガなどではその霊気をプラナと言っている。
…
「むすぶ」働きは単に「愛する」というような甘い意味だけでなく、
「自覚の一新」または「新しき霊気」によって「新たなる価値」がそこに創造されるという
深い意味を持っているわけであります。
ムスビの働きをする神様が「高御産巣日神」「神産巣日神」という訳であります。
『古事記』には
「この三柱の神は、みな独り神成りまして身を隠したまいき」と書かれております。
この神々が「独り神」であるというのは、…
三柱の神様のように見えているけれども、「一つの神」であるということが「独り神」
物質の肉体を持っている神様じゃない。
無相の姿なき神様であるということが「身を隠したまいき」ということの意味であります。
相(すがた)、形が現象的にはまだ現れていない、太陽光線が無色であって
肉眼にはどんな色も見えないが、その中に一切のものが包蔵されているという
無相にして一切事物の創造の根源の神様であるという訳であります。
「ウマシアシカビヒコジ神、天之常立神…
この二柱の神も独り神成りまして身を隠したまいき」
三柱が一つの神様である…また二つ出てきて合計五柱の神々になる。
それが同じ一つの神様である
「五柱なら五つじゃないか、五つが一つということはありえない」
というように西洋人の科学的な頭は考えがちであります。
…ひとりひとり形がみな別に現れておったなら、別の存在であると思って
三十四億の全人類がいるとするならば、三十四億の人類はいつまでも皆ばらばらの
三十四億であって一つではないから永久に一つになりようがないのです。
「一即多・多即一」という真理、
「多く」見えているけれどもそれは「一つ」であり、
「一つ」であるけれどもそれは「多」である。
あるキリスト教の牧師が日本へやってきて
「日本の民族は迷信家が多い。なぜかというと八百万の神といっていろいろ沢山の神を
祀って拝んでいるから、あれは迷信である。
形ある宮をこしらえて拝んだりしているから、あれは偶像崇拝であってエホバの神様の
最も嫌いたまうところのものである」
これは一即多という真理を知らないからそういうことを言ったのであります。
真理は、すべての神は「一」であると同時に「多」であり、
「多」の姿に化身または方便身として現れるけれども本来「一」である。
三十四億の人類は三十四億であるとともに同時に「一つ」の神のいのちである。
それがわからなければ、世界の平和をいくら叫んでも、ばらばらに分かれて平和は来ない。
日本の国旗、日の丸
全体は一つであるという象徴、抱き合う時も左右の腕を相手の身体を包み込み動作、一体
国号も「やまと」であり、漢字を日本としても「やまと」とよんだ
「や」:八百万、弥生→たくさん
「ま」:まとめる
「と」:とどめる
つまり、たくさんのものを一つにまん丸く争いのないようにまとめて一つにとどめる
部分が先か、全体が先かという哲学上の大きなテーマ
日本では、全体が先であって一円相のものだという考え
風呂敷はどんなものでもそのまま包み込んでしまう、畳めば小さくなって手のひらに収まる
「握れば一点となり、開けば無窮となる」「無我にして一切を包む」
和風建築も紙製のふすまや障子で隔てられているだけで、容易に開けて入ることができるし、
隣の言葉も聞こえるし、秘密がなく互いを完全に分割する隔壁はない
西洋建築・アパート・マンションを見ると一室一室ドアを閉めて鍵をかけている
分割して鍵をかけているのは「入れてやらん精神」
「入れてやらん」から「入るぞ」と言って行動を開始すると戦争になる
戦争の原因は分割精神からくる、「互いに兄弟精神」からは起こるものではない
下駄でも草履でも大きい足でも小さい足でも入れることができる
小さい子供でもお父さんの下駄を履いて歩くことができる
子どもの下駄でもお父さんが親指入れて歩けないことはない
西洋の靴はちょっと寸法が違うと足が痛くて歩けない
「寸法の違うものは入れない」西洋式分割精神
伊邪那岐命伊邪那美命二柱の神に、このただよえる国を修理り固め成せ
「イ」の言霊→生命、息、生きる
「エ」の言霊→切り分ける、枝、江(小さく切り分けられた海)、選ぶ
「サ」の言霊→触れ合う響き、触る、さする、支える、さらさら、
イザナギの「イザ」→生命が重なって触れ合う、「いざ、これへ」など
一つの生命が二つに分かれて一方はイザナギ、他方はイザナミになった
「イザナミ」
「ナミ」→水面が運動を起こして細かく分かれたもの(波)
物質文明を表す
「イザナギ」
「ナギ」→草薙などのようにぼうぼうと勝手気ままに伸びて不ぞろいであるのを
一様に刈り揃えて平らにする事、風が静まって波が静かになるのを凪(なぎ)
ナギの働きで動揺を鎮める、風がやんで波がなくなる
天沼矛(あめのぬぼこ)
「ヌ」の言霊→貫く、縫う、ヌルヌル(滑りぬけていく)
宇宙を縦に貫いている真理の矛
「天浮橋に立ち…鹽(しお)こおろこおろに…矛の先より滴り落ちる鹽、積もりて島となる、
これオノコロ島なり」
橋がかかっているというわけではなく、天とは宇宙であってはるか彼方の端の方
遠くはるかな形容を用いて宇宙の広さを表現したわけです。
鹽(シホ)というのは
「シ」→水、したたる、しずく
「ホ」→火、ほのお
陰陽の原子・分子・素粒子をかき回して結晶させて引き上げられたときに、矛の先より
新価値が生まれたのです。
イザナミの女性的な柔らかい働きと、イザナギの固い働きとが結合して、
新しき島を生みだした。これをオノコロ島というのであります。
オノコロ(菸能碁呂)島というのは、自ら轉(ころ)ぶ、つまり自転するという意味
太陽系も一つの旋回運動を起こしているのでオノコロ島
地球もオノコロ島であって自転している
「大山津見神・野椎(のづち)神の二柱、山野によりて持ち分けて生みませる神の名は
天之狭土(さづち)神、国之狭土神、天之狭霧(さぎり)神、国之狭霧神、
天之闇戸(くらど)神、国之闇戸神、大戸惑子(まどいこ)神、大戸惑女(まどいめ)神」
大山津見神→大山
野椎神→平野
「持ち分けて」→ここまではわしの領地であると分け持っている
地球というのはすべての人類が利用するように与えられているのに山脈を境界線として
ここはわしの国だと言って領土争いをしておったならば、
せっかく広い世界が狭くなってくる
これを天之狭土神、国之狭土という神名をもってあらわしている
国土が狭くなると人口は増えるのに住むところが狭いとなると迷いの霧が立ち上ってくる
これを天之狭霧神、国之狭霧神という名であらわす
心の迷いがもうもうと立ち上るようになると
天之闇戸神、国之闇戸神というように、世界が暗黒になる
迷って迷ってどうしたらよいか分からなくなって大戸惑いになり
大戸惑子神、大戸惑女神という神様が出てくることになって、
いよいよ戦争にまで発展するという予言
「鳥之石楠船(とりのいわくすぶね)神、またの名は天鳥船(あめのとりふね)神、
大宜都比賣(おおげつひめ)神、火之夜藝速男(ひのやぎはやおの)神、
またの名は火之かがびこ神、またの名は火之迦具土神」
空を飛ぶ石楠船(金剛不壊の砕けない船)が出現するというのです。
「オオゲツ」とは食物のことで、物質生産のこと
この神様は「ミケツノカミ」とよばれています。
神様にお供えするお酒を「ミキ」、お食事を「ミケ」
物質大量生産の時代が来ることの予言です。
火之夜藝速男神→火をもって早く焼いてしまうという焼夷弾
火之かがびこ神→空から落とすと一面明るくなる照明弾
火之迦具土神→爆弾や砲弾など火の道具をひっくるめて
イザナギ神は「ミホト焼かえて病み臥せり」
病になり臥せることになります。
以上になります。