『神道のことば』武光誠 より名言を以下に記します。
大難大変に逢うても動転せぬといふはまだ志氣なり。
大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。
山本常朝『葉隠』
勇者は外をあらくせず
貝原益軒『武訓』
力がある者は自分から他者と衝突することはしない。
人の和を重んじ立ち回れる者は自分を抑えられ、怯えることのない冷静さを持つ勇者である
私が気に入らぬ事が私が為になるものなり
伝鍋島直茂 山本常朝『葉隠』
私欲を抑えて公正な態度に努めれば、信用という財産になる
習ひつつ見てこそ習へ。習はずに、善悪いふは愚かなりけれ。
千利休『百種談義』
師から指導されるのを待つだけの受け身ではいけない。
師の行動の一つ一つを見て学び取ること。
古人の跡をもとめず古人のもとめたる所をもとめよ
松尾芭蕉『風俗文選』
なぜそのような行動をしたか、どういう考えや思いでどんな状況だったか、成果の本質がわかる
只臨終の夕までの修行と知るべし
上島鬼貫『独言』
平常心をもって一切の事をなす人、是を名人と云ふ也
柳生宗矩『兵法家伝書』
一理を学ぶ時は一理を行なふべし
二宮尊徳『二宮尊徳全集』
よろずの咎(とが)は、馴れたるさまに上手めき、
所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり
吉田兼好『徒然草』
礼儀を乱さず、へり下りて、我が為には悪しくとも、人の為に良き様にすれば、
いつも初会の様にて、仲悪しくなることなし
山本常朝『葉隠』
何方(いずかた)をも捨てじと心にとり持ちては、一事も成るべからず
吉田兼好『徒然草』
修行に於いてはこれ迄成就といふ事はなし
山本常朝『葉隠』
続けることこそ修行である
過まれるを改むる善の、これより大きなる無し
慈円『愚管抄』
如何に弱き人と雖も、その全力を単一の目的に集中すれば必ずその目的を成し得べし
春日潜庵『潜庵遺稿』
己に勝つを賢とし、己が心に負けて悩むを愚とす
鈴木正三『万民徳用』
地下百尺の心
河井継之助『自戒語』
教へは唯だ天性に随ふのみなり。
戒めはその天性にそむく処を戒むるのみなり。
山鹿素行『山鹿語類』
兵の剛なると申すは、最後の死を申すなり
今井兼平の言葉『源平盛衰記』
生質に短気といふことあるべからず、此気随のなすところなり
石田梅岩『都鄙問答』
我慢
すべて人の上に立つ時は、愚なるも智あるさまに見ゆ、
下に居るものは、智あるも愚に見ゆるものなり
徳川吉宗の言葉『有徳院御実紀付録』
其身にそまりてはいかなる悪事も見えぬものなり
井原西鶴『日本永代蔵』
山高きがゆえに貴からず、樹あるをもって貴しとなす。
人肥たるがゆえに貴からず、知あるをもって貴しとなす。
伝空海『実語教』
水いたって清ければ底に魚すまず、人いたって賢なれば内に友なし
『曽我物語』
天下の物の上手といえども、始めは不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき
吉田兼好『徒然草』
する事かたきにあらず、よくする事のかたきなり
『十訓抄』
道理にて極めたる事は、たとひちがひても後悔なかるべし
室鳩巣『駿台雑話』
何事も本つ心の直きにかへりみよ
賀茂真淵『国意考』
邪心を人は受け入れない
何しに劣るべきと思ひて一度打向へば最早其の道に入りたるなり
伝石田一鼎
世の人細故を挙げて大体を遺る
会沢正志斎『新論』
分別過ぐれば大事の合戦は成し難し
伝黒田如水
水飲んで楽しむ者あり、錦を着て憂ふる者あり
中根東里『東里外集』
総じて、人は分相応の楽しみなければ、又精も出し難し。
これに依って、楽しみもすべし、精も出すべし。
恩田杢『日暮硯』
楽しきと思うが楽しきの本なり
松平定信『千秋館座右銘』
嫌々するよりやりがいがあれば
出る月を待つべし、散る花を追ふことなかれ
中根東里『東里外集』
時の流れに乗る、タイミングをつかむ、過去に戻れない、
済んだことは終わらせて新たなことに向き合う
人間の一生は誠にわずかの事なり。
好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、
苦しみて暮らすは愚かな事なり。
山本常朝『葉隠』
人生は楽しんで暮らせ
已むことを得ざる之を誠と謂ふ
山鹿素行『聖教要録』
どうしようもない、思い通りにいかない、仕方がない、あるがままに受け入れる
利を共にするは小なりといえども還って大なり
角倉素庵『角倉家舟中規約』
目先の利益の大小ではなく、自分も皆も社会も得るものがある事業
逆境に遭ふ者は宜しく順境を以てこれを処すべし。
順境に居る者は宜しく逆境を忘れざるべし。
佐藤一斎『言志耋録』
逆境の時は気を落とさずに順境の時を思い出して明るく切り抜ける
順境の時はおごらずに逆境の時を思い出して引き締めていこう
求めにやすく、失ふにかたきものを、楽しまむ。
中井甃庵『問はず語り』
手に入れにくい物を持っている人をうらやむ気持ち、自分が持ちたいと思う気持ち、
人間の物欲に限りがなく、今あるものを大事にしていきたい
心は常に楽しむべし、苦しむべからず。
身は労すべし、やすめ過ごすべからず。
貝原益軒『養生訓』
人は巧みにして偽らんよりは拙うしても誠あるに如かず
『曽我物語』
偽りだらけ・ごまかしばかりの人は、他の人たちから信頼を得られない、
好んで協力しようとしない。
手助けや協力は、信頼を持たれなければ得られない。
不器用であってもごまかしのない人は、応援したくなるもの。
足る事を知って及ばぬ事を思ふな
楠木正成『楠公家訓』
手に入らない物ばかりを欲しがっていては心が満たされず不満ばかりつのる。
手元になるもので満足できる人は幸せだ。
怠惰の時は怠惰を知らず
春日潜庵『丙寅録』
時間に追われて忙しい人は、自分が怠っていることがあることに自覚がない。
仕事が忙しいと、勉強や雑用、家族や運動、健康のことなど忘れがち。
心が忙殺されると、大事なことを忘れ怠りがち。
人をみるには、まづ十にして五ばかんもよき事あるは、いとよき人とみるべし。
十にして一つ二つもよき事あるは、よき人なり。
十にして皆あしきをば、あしきと心得給へ。
松平定信『花月草紙』
身の安きを得る処則ち心安し
『太平記』
体も心も休みなく働き続けることはできない。
体に無理をさせ続ければ、気持ちのゆとりもなくなり、ミスや事故になりやすい。
判断を誤ることもある。安らぐことが大切。
不仕せのとき草臥れる者は、益に立たざるなり
山本常朝『葉隠』
死地を踏まざれば善士と成ること能はず
太宰春台『産語』
窮地・がけっぷちでは自分の能力や経験、直感が濃縮され積み重ねられていく。
物はとかく時節をまたねば、願ふことも成就せず、短慮は功をなさず
滝沢馬琴『占夢南柯後記』
成就する時期というものがある。状況や人の意向を読み的確に進めていくこと
他をかへりみずして自分の善き事ばかりをすべからず候
山岡鉄舟『修身二十則』
もめないように遠慮や配慮を忘れないこと、円滑に進められるように周囲を気遣う
倹約の仕方は不自由なるを忍にあり
伊達政宗『伊達政宗壁書』
けちは必要なことにも金品・物品・労力を惜しむ。
浪費のし過ぎも惜しみすぎも、行き過ぎは良くない。
身の楽しむ時謹むべし、心の驕る時恣にすべからず
『曽我物語』
古へより、よく勤むる人は、功を遂げ、怠る人はその家国を失ふに到る。
機を見て働き、時をしりて行ふ人は、何をしてか成らざる。
山片蟠桃『夢の代』
機を見て時間を無駄にしない勤勉家
千里の道もひと足宛(ずつ)はこぶなり
宮本武蔵『五輪書』
勇気や覚悟がなくても、日々の努力を淡々と続けていけば、長い距離を行くことができる。
朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし
伊達政宗『伊達政宗壁書』
己を潔くせんと欲して大倫を乱るは異端なり
山鹿素行『山鹿語類』
人々の和を乱し混乱を与えては、正しい事とは言えない、身勝手であり、私欲である。
真に正しいことなら、筋道を立てて人を導く手法があり、それが知恵である。
常に大局を見て行動すること。
和歌に師匠なし、只旧歌を以て師と為す
藤原定家『詠歌之大概』
師に付けばわかるというものではなく、優れた和歌を数多く見ることで、感性から理解する。
神の御めぐみ疑ひ思召すべからず候
西行『定家卿に贈れる文』
つらいことでまわりを敵視してしまうと、人の情けを受けていることにも気づけなくなる。
凡そ神は正直を以て先と為す。
正直は清浄を以て本と為す
清浄は心に正を失わず、物を穢さず、大道を守り、定準を専らにす。
渡会家行『神道簡要』
正直な心とは清浄であり、神様の嫌う不浄とは不正や噓、偽り。
自分の好き勝手に振舞うことを正直とは言わない。
「お天道様に申し訳ない」と天・神・人にも顔向けできるのが天道である。
慎の一字こそ眼なれ。神に仕には慎にかぎる事也。
渡会延佳『陽復記』
他人と接するときは他人の心に宿る神と接している、
人との付き合いは神と対面することと同じ。
心が欠けていては神の御霊を感じることはできない。
心無い人を好み、信頼する者はいない。
心だに誠の道に叶いなば祈らずとても神や守らん
菅原道真『菅大臣和歌集』
家職、産業は、たすけてたすけられるわざ
大国隆正『本学挙要』
初心忘るべからず
世阿弥元清『風姿花伝』
手段と目的が逆転していないだろうか
人生劈頭一個の事あり、立志是なり
春日潜庵『丙寅録』
一人前になるためには、目的や目標を持たなければならん
志の無い目的は、事の本質をゆがませる
手段と目的をはき違えないために、志を立てる
世の中に影響あることを行うなら、人の為にならなければならぬ
人に及ぼすには立志がなければならぬ
信を以て徳となす。
故に神明は徳と信とを饗けて物を備ふるをば求めず
『豊受皇太神御鎮坐本紀』
神様は人を騙す者や心の曲がった者の供物は受けない。
食べ物を分かち合い、共に食することで互いを信じあう証とした。
不信者の言葉や提供する物を喜ばない。
人は乃ち天下の神物なり。
須らく静謐を掌るべし。
心は乃ち神明なり。
心神を傷ましむる莫れ。
『造伊勢二所大神宮宝基本記』
人は神の心を持つから、静かで安らかな心を持つように努める。
妬みや怒りなどの気持ちを生じさせて、心の神を悩ませないようにする。
良馬は毛にあらず、士たるは其の志にあり
尾藤二洲『約山詩集』
自ら活動して他を動かしむるは水なり。
常に己の進路を求めて、止まざるは水なり。
黒田如水『水五則』
生を必する者は死し、死を必する者は生く。
上杉謙信『上杉謙信言行録』
死の覚悟は命を軽んじるものではなく、腹を据えて恐怖に振り回されることなく、
冷静に事態を打破することである。
天地の中にみちたる草木まで、神の姿と見つつ恐れよ
吉田兼邦『兼邦百首歌抄』
自然は人間の勝手な都合では思い通りにはならない
人々が神々に感謝してきたのは、思いあがることのないようにとの戒め。
未だ曾て邪は正に勝たず
菅原道真『菅家後草』
邪は、正道から外れた、よこしま、ねじけ、ひがみ、いかり、ねたみ
邪が勝っているように見えても、自然の道理から外れた邪が、いつまでも通じることはない。
たとひ一粒たりとも天地人の三徳によりて生ず
二宮尊徳『勤方住居窺書』
米だけでなく、農林水産、工業、人間まで、天地人つまり神と自然と人の力によりつくられる。
群臣、共に信あらば、何事か成らざらん。
群臣、信なくば、万の事、悉くに敗れん。
聖徳太子『十七条憲法』
国の貴賤は繁華をもって定むべからず
西川如見『町人嚢』
国の良し悪しは、満ち足りて安心できることで決まる。
大方人の心は、野の草の風に随ふが如し。
鴨長明『発心集』
人も自然物なのだから、草が風にたなびくように、いろいろなことに影響を受けて心も揺らぐ
穏やかに暮らすには良い風となる優れた人や物に会いたい
悪しきことばかりに触れていたら、心を病んで疲れ枯れ果てる
雨風も紅葉も月雪も、何も神の姿なりけり
常連院行存『修験道諸神勧請通用』
自然は神そのものであり、美しくもあるが人の思い通りにならない厳しさである
神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ
北条泰時『御成敗式目』
人が神を支え敬い、神が人に徳を与え支える
敬いなくして徳はない
神は則ち、、穢悪を罰し、正源に導く
『造伊勢二所大神宮宝基本記』
神様の与える罰とは、汚れて悪に陥ったことに気づかせてくれる合図。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
『平家物語』
この世のものは何もかも、留まることがない。今のこの瞬間を大切にする。
花は盛りに月は隈なきをのみを見るものかは
吉田兼好『徒然草』
美しいとされているときだけ愛でて物事の断片だけしか見ない者に、
本当の花の美しさ、月の輝きの美しさがわかるのか。
花の芽吹きから散りゆくさままでを見てこそ、その美しさとはかなさを知る。
花にも月にも人にも、いろいろな時期があり多様な姿がある。
神道は即ち理也。万物は理の外にあらず。理は自然の真実也。
林羅山『神道伝授』
人は自然を超越した存在ではない。
人も自然の一部である。例外はない。
人間も自然の中で自然のものとしてただ生きるのにほかならない。
先ず以て、神祇を祭い鎮めて、然して後に政事を議るべし
蘇我石川麻呂『日本書紀』
祀った神の下では、人は身を低くするから、まず神々を祀らなければならない。
統治者が「人を支配する神」と思いあがれば暴君となり民を軽んじる。
神が上にあることを忘れず、驕ることのないように心を清めて、初めて政治が行える。
日本の政治家は独裁者になることを許されたためしはない。
以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。