よぼよぼ老猫はなぜ凶暴なネズミを捕まえられたのか?

ネズミ捕りの名人である古猫が教えを説くというコンセプトです。

江戸時代中期の剣術指導家、佚斎樗山(いっさいちょざん)『猫の妙術』は

訓術書でありながら人生の秘密を解き明かす内容です。

幕末の剣豪・山岡鉄舟も愛読した名著を紹介します!

『新釈 猫の妙術 武道哲学が教える「人生の達人」への道』高橋有 訳・解説

を元にしています。

なるべく本の文言通りに引用していますが、

読みやすくするため、そのままでない箇所があります。ご了承ください。

より学びたい方は本をお読みください。

この記事の目次



1.剣術家と猫たちが、大鼠と対峙する

①飼っている普通の白猫が大鼠に向かう

剣術家・勝軒(しょうけん)は家に帰ると部屋の奥に

猫ほどの大きさの大鼠がいたそうな。

勝軒が追い払おうとしても、大鼠は逃げ回ってらちが明かない。

飼っている白猫に退治するように命ずるも、

白猫は逆に大鼠にかみつかれて大けが。

②ネズミ捕りの名猫の黒猫に頼む

ネズミ捕りの名人ならぬ名猫はいないかたずねる。

スピードと技を兼ね備えた、評判の黒猫がいるとのこと。

そこで黒猫に大鼠退治を依頼。

黒猫は持てる技を駆使して、大鼠を捕まえようとする。

機に応じ最も適した技を出す。

しかし先手を取られ、逆に反撃され、散々にかみつかれ退散。

③豪壮の氣ある虎猫に退治を依頼

大鼠はかなり手ごわいとわかり、さらなる名猫はいないか。

うわさの虎猫に依頼した。

虎猫は黒猫より一回り大きく、

威風堂々たる虎をほうふつさせる風格。

虎猫曰く

「相手を気で圧倒し、心をくじき、身をすくませる。

そうなれば小賢しい技など不要だ。

捕らえるのは簡単」

虎猫が大鼠と対峙し、

うなり声と全身の毛を逆立て、睨む。

大鼠も一刺しするかのような尖った声と身体を膨らませ血走った目で虎猫を睨む。

大鼠の気迫に虎猫は押し返され、戦わずして退散。

④心の術を使う灰猫に依頼

黒猫・虎猫よりも名猫だという灰猫に依頼した。

灰猫曰く

「相手の争う心とぶつかるのではなく、寄り添って和らげてしまう。

相手の打ち込もうという心を止めて、技そのものを出させないようにするのだ」

灰猫は部屋に入ると

旧友と酒を酌み交わすがごとく何の構えもない。

「これは立派な鼠殿だ。

わしは手を出そうとは思っていない。

こんなに何度も猫に来られては嫌だろう、

この部屋から出れば誰も襲いはしない、一緒に出よう」

「今まで十分戦ってきた、十分ではないか」

と寄り添うものの、気の立っている大鼠に襲われ退散。

⑤武神と呼ばれる伝説の猫は、この猫!?

どうしたらいいだろう…4匹の猫たちは

「そういえば、武神と言われる猫がいる、とのうわさを聞いたことがある」

とのことで、その猫が探しだされ、数時間後、古猫が勝軒の前に連れてこられた。

身体はぼってりしていて動きも遅い。

勝軒が4匹の猫たちに「本当にこの猫なのか?」と聞いても

猫たちも困惑した表情で

「他の猫たちは確かにこの猫だというのです」と答えるばかり。

勝軒は「他の猫たちに担がれたのだろう」

とりあえずやらせてみようとしたが、

古猫は縁側にぶら下がっていてばかりで、上がろうとする気が見られない。

古猫は「最近動いてないもので。すまんが縁側に上げてくださらんか」

勝軒はやれやれと、古猫を持ち上げて部屋のま前に置く。

古猫はのろのろと部屋の中に入っていった。

ところが、古猫は何事もないかのように、大鼠をむんずとくわえてしまった。

今まで鬼・猛獣のように暴れていた大鼠は、

飼いならされているようにおとなしく、まったく暴れることがなかった。

のろのろと庭に出てきた古猫に放され、大鼠は庭の奥に逃げ去ってしまった。

勝軒と4匹の猫たちはあ然とその光景を見るばかり。

2.古猫、名猫たちの疑問に答える

①技よりもっと大事なことがある

勝軒は、猫たちに魚をふるまい、ねぎらった。

猫たちは古猫に質問する。

技を磨いてきた黒猫は、

「なぜ私の技はあの大鼠に通じなかったのでしょう?」

と古猫にたずねた。

古猫は

「お前は鼠を捕る技を磨いてきたにすぎない」

「技は枝葉にすぎない、身につけるべきは道理」

「簡潔単純な技にこそ、この道理が含まれているが、古臭いなどと侮られがち」

「鼠がどう出るかなど知恵を働かせて技を磨いても、

鼠が想定外の動きをしたら対処できない」

~~訳・解説者も指摘していますが、

たとえばコミュニケーションの場面で「相手の目を見る」は技。

道理は「相手を尊重する」ということ。

目を見ていればいいかとばかり、じっと見つめていると、相手が不快に思う場面も出ます。

相手を尊重するという道理がわかっていれば、じっと見つめなくてもいいでしょう。

「うなずく」のも技で、「尊重」という道理が伴っていなかったら、

単なる空返事で、相手を不快にさせます。

仕事も

「やり方・マニュアル」は技で、「なぜそうするのか」が道理。

道理が理解できていなかったら、つぎつぎと「やり方」を覚えなければならないし、

今までにない新しい場面が出てきたら対処できないでしょう。

すぐれた人の定義の一つとして、

「経験したことのない未知の道の事態に対処できる」

がありますが、これになります。

~~~

②必死の相手に、気力で勝てるのか

気で圧倒しようとする虎猫に対し、古猫は

「お前は相手を圧倒し、自分が強気になったときの勢いを頼りにしている」

「気の強さは不要、捨ててしまえ。

こちらが敵の気を破ろうとすれば、敵もこちらの気を破ろうとしてくる。

こちら以上の気の持ち主が相手の場合、どうするのじゃ?

自分だけが強くて、敵はみな弱いということがあるのか?」

「窮鼠猫を噛むという言葉がある。

追い詰められた鼠は必死になる。

鼠は自分が生きていることを忘れ、欲を忘れ、勝ち負けを忘れ、身の安全すら忘れている。

こんな状態のものを気の強さで圧倒しようとしても無理。

相手は気で負かされても、負けたことにかまわず向かってくるのじゃから」

~~訳・解説者の言葉からです。

いきなり顔めがけてボールが飛んで来たら、とっさに身体を守る行動をとるし、

熱い鉄板に手が触れれば手を引っ込めます。

頭でこうしようと考えません。

ごく自然に必要な速度で反応しているだけです。

必死になっているときは、

作為でなく、その状況にとって最も適切な反応をとることができます。

~~~

③わざと無心になるな

灰猫は

「ああしよう、こうしようという考えを捨て、無心で相手に応じて調和します。

応じることを第一にし、形をなくし、相手が押せば退き、退けば押す。

こうした流れの中で自然と鼠が自分から捕らえられるに来るのを待つ。これが私の術」

これに対して古猫は、それは真の調和・真の無形ではないと言う。

「技には、『念』(考えて出すこと)と『感』(感じて出すこと)の2つがある。

敵の攻めの気をいなそうとしても、考えて出た『念』ではうまくいかん。

相手も不自然さを感じて、その動きに対応するからじゃ。

相手と調和しようと考えて調和すると、動きが鈍る」

「考えず、しようとせず、ただ心の『感』に従って動くのじゃ。

自然さの中に溶け込んで形はなくなる。」

「身体は気が動かすのじゃ。

気がのびのびと働けば、何が起ころうとも応じられ、

相手に調和するに苦労もなく、岩や鋼にあたってもくじかれることは無い。

こうしよう・ああしようと頭でっかちな考え『念』が入れば、それは作為。

気も濁り、それによる動きも自然さを失う。

濁った気には敵も服せず抵抗し、ますますこちらを打ち倒そうと向かってくる。」

「心持ちなどすべて捨てろ。

敵と立ち会うには『念』を捨てるのじゃ」

「普段から技の修行に励んで居れば、道理も心の中にあるもの。

どんな敵と相対しても、心の中の道理の声に耳を済ませて待っていればよい。

待てば勝手に『感』が働き、気がお前たちを動かす。

それで勝てない時は、どうせ考えたところで勝てない。

技の修行を通して心の曇りを取り除いていけばよい」

3.古猫が剣術者に剣の心を教える

①剣術は勝つことなのか?

古猫を抱えてその家に送り届けている際に、勝軒は剣術についてたずねた。

古猫の話。

「お前は、剣術とは勝つことだと思っているのだな」

「心に、こうしたい、というこだわりがあれば、形となって現れる。

その形こそが、敵だ己だなどというくだらない構図をうむ。

無意味な技比べが始まる。

これでは自在な変化で斬ることができるはずがない」

「勝ち負けにこだわり、ああしたらどうか、こうしたらどうかなどと考えるのは、

道理に従って動きたがっている身体を押さえつけているようなもの。

勝ち負けは道理の赴くまま・『感』の赴くままに任せる」

②こだわりを捨てたえず変化するのみ

「己の中にあるべきは変化のみ。

変化がとどまれば、気もとどまるし、身体も自在に動かなくなる。

何かに気を使ったと思えば過剰になり、気を使わないところでは不足になる。

たとえば

『相手の刀がこう来るのをこう受けて、こうやって斬る』とこだわっていたら、

もし相手が思ってもいなかった刀のふり方をして来たら、バッサリ斬られる。

自分の事前の策に気が過剰になり、相手の思わぬ刀のふり方に対する、気・注意が不足していた」

「何が起ころうと柔軟に変化する心の在り方」

③奥義・信念も人を縛る

「技も奥義も信念も志も、決まった形をもって固まった瞬間に、その人間を縛る。

それでは現実の変化に応じることなどできない。

こうした形を持ったものを捨て、敵だ己だなどと考えず、

心の中の道理に身を任せることで現実の変化に応じること。」

「日なたができれば、日陰もできる。

己という形をとらなければ敵対する者もない。

そうすれば争うこともない。」

④勝負・強弱にこだわると、さいなまれる

「誰かより強くなろうと思うと、今の弱さにさいなまれる。

自分を弱いと思えば、強さにこだわることになる。

勝ちにこだわると負けも生じる。

強さ弱さや勝ち負けは心が作り出しているもので、実体はない。

すべて心の形は妄想。

上も下もなく、良いも悪いもなく、重いも軽いもなく、自分も相手もない。」

⑤みな錯覚にすぎない

今自分がいる場所は「ここ」、離れた場所は「そこ」

その離れた場所に行くと「ここ」になり、さっきまでいた場所は「そこ」になる。

大地に違いはないのに、特定の立場から見ると錯覚になります。

つらいこと・苦しいことも、ただの出来事です。

つらい・苦しいと思うのは、特定の立場から見た時の錯覚にすぎません。

その錯覚も永遠ではないのです。

以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

哲学に即した各種サポートも行っています。

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