まずご参加いただいた皆様に感謝申し上げます、ありがとうございました!!
思い返していただけるよう、当日の概要を書きました。
細かい内容までは書ききれませんが、大体の内容は思い返していただけると思います。
この記事の目次
暦・易で時間・タイミングでの招福
一粒万倍日という吉日に開催しました。
一粒が何倍にも拡大する日。
プラスのことが何倍にもなりますが、マイナスの事も何倍にもなる、と話しました。
風水・パワースポットは、空間・場の御利益。
暦・易は、時間・タイミングの御利益。
どちらも取り入れていきたいと考えています。
なぜ聖(ひじり)という?
今回は、東京都心、JR御茶ノ水駅付近にある、パワースポットに伺いました。
御茶ノ水駅の聖橋改札口にて待ち合わせ。
なぜ「聖(ひじり)」というのか?
縁起の良い日・御利益をいただける日を知っている人。
農耕社会でいつ種まき・田植え・刈り取りをしたらいいか。知っている人。
が尊ばれました。
その日を知っている人~だから「ひじり」です。
御茶ノ水が良い風水である理由
武蔵野台地(山手台地)の先、本郷台地、さらに先の湯島台にあります。
この地には神田山という山がありました。
日比谷入り江などを埋め立てるために切り崩されてしまいました。
その麓に高林寺という寺がありそこの湧き水でお茶をたてて
江戸幕府二代将軍・徳川秀忠に献上したところ美味と称賛されて、
お茶の水の地名になったとされます。
地名の由来碑が、御茶ノ水駅の西側、お茶の水橋改札を出た正面の交番わきにあります。
風水が良いというのは、良い水・美味しい水が取れます。
京都は風水が良いと言われますが、茶の湯の千家にある井戸からは
お茶に適した良い水が湧き出るといいます。
美味しい日本酒が作られる場所もそうです。
たとえば六甲山のふもとの神戸・灘や、京都・伏見です。
東京の地形図で、氣の流れを説明しました。
神田川は人口の川
御茶ノ水駅ホームすぐそばの渓谷は、人工的に作られたものです。
仙台・伊達藩がこの掘削工事を行ったため、仙台堀(濠)とも言います。
なぜこの掘削工事を行ったのか?
神田川(江戸川・平川)の洪水対策と江戸の防衛のためでした。
平川の流れていたあたりは標高が低いと、地形図で説明しました。
平地を流れている川も平らなので、「平川」です。
またここに仙台堀があると、よい外堀になると、地図を見ていただきました。
水堀の場合、「濠」の字も使うことも説明しました。
なぜ水道橋というのか
御茶ノ水駅の次(新宿方面へ)が水道橋駅です。
江戸の海を埋め立てた辺りは井戸を掘ってもしょっぱい水が湧くため、
淡水・真水を川から引いてくる必要がありました。
神田川の上流、早稲田のあたりが満潮になっても海水がさかのぼらないため、
このあたりに取水口を作り上水道を作りました。
そのため、小石川後楽園西側に「水道」という地名がおこり、
掘削した神田川を通すための木の樋の橋を作りました。
これが「水道橋」です。
今はもちろん現存しませんが、碑が立っています。
神田・湯島の言霊
神田は「かみ」の「た」ですが、
「かみ」一説では、「火」「水」に由来するとされ、
火の下から上に向かう縦方向と水の上から下そして横に流れる作用。
「霊(ひ)」と「身(み)」も意味するということです。
詳細割愛します。
「た」は「たくさん」「他(た)」「田んぼ(稲がたくさん)」の意味。
湯島は、「湯(ゆ)」は火と水が作用してできたエネルギー多い存在であり、
「斎庭(ゆにわ)」など「聖なる」意味です。
「し」は、閉める・締める・占めるなど、とどめておく・閉じ込める・区切る意味です。
「ま」は、間・空間・時間です。
だから「島(しま)」は外側が水で区切られた場所ですし、なわばりの事もシマといいます。
湯島聖堂は学校教育の発祥の地
江戸幕府の昌平坂学問所の跡です。
のちに東京大学・筑波大学・お茶の水女子大学の原型、文部省がこの跡地に建てられました。
聖堂の西側、道路を隔てた場所に東京医科歯科大学(今は東京科学大学)が建っており、
このあたりまでありました。
なぜこの場所に建てられたか。
御茶ノ水駅南側が駿河台という地名です。
徳川家はもともと三河(愛知県東部)から駿河(静岡県中部・東部)を領有していました。
1590年にその東海地方から関東地方に国替えされ、駿河にいた家臣団が住んだ場所が駿河台。
浜松に住んでいた家臣団が住んだ場所が浜松町です。
徳川家を守るため、江戸城の北側の駿河台と西側の番町に、旗本たちが配置されたわけです。
ここの子弟たちが学びに行くのに都合の良い場所が、湯島聖堂のあたりだったのです。

神田明神がパワースポットである理由
神様を敬うことでパワーが増す
「神は人の敬によりて威を増し
人は神の徳によりて運を添う」
北条泰時『御成敗式目』
を紹介しました。
要するに、神様を良く知り敬えば、神様のパワーが強まり、人の運気もあがる
ということです。
だから、神様・神社の事を学びましょうと申し上げました。
さっそく神田明神・神田神社について学びます。
平将門公の首が祀られた将門公首塚(大手町)に、もともとの社殿がありました。
徳川家康が関ケ原の戦いの勝利を祈願し、見事勝利を勝ち取ったことで、
江戸総鎮守となります。
総鎮守としてお祀りすることで、さらに威力を増します。

神田神社の位置
そして江戸城の鬼門(表鬼門)の北東の方角である現在地に遷移します。
北東の方角(艮・丑寅:うしとら)方角には幅があると説明しました。
そして裏鬼門は永田町の日枝神社。
この両神社のお祭りが神田祭と山王祭りで、神輿・山車が江戸城に入れて将軍も拝見。
天下祭りがこの二つなのは、江戸城を北東・南西に鎮座し江戸城を強く守っているからです。
江戸は荒ぶる神・平将門公の神田明神と、比叡山と同じ神を祀る日枝神社で、
江戸城を挟んでいます。
神田明神は江戸城を向いており、守護しています。
京都を守護しているのは、鬼門の比叡山と北方の上賀茂・下鴨神社ですが、
御所や大内裏を挟んでいるわけではありません。
鎮座地は頂上
実際に行って確認いただきましたが、頂上に位置します。
湯島聖堂との間に旧中山道が通っていますが、そこにある青銅製の鳥居から上り坂(南)。
裏参道も建物3~4階分の階段があり(北)、
駐車場あたりも浮世絵に描かれているように江戸時代は眺望の良い見晴台でした(東)。
「盛り上がる」山や丘は氣が強いため、神社がおかれることが多いです。

御祭神の秘密
平将門公とはどういう方か、
怨霊となるだけのものすごいパワーを持つ霊を祀ると強力な守護神になる、という説明。
朝廷へ反逆したことにより良くない神として扱われ、
明治になり江戸城が皇居になってから、皇居の守護神が反逆した神では具合が悪いからと
神田神社の御祭神から外されて、ようやく50年ほど前になってから祭神に復帰したなど。
福の神・事業経営に優れ、知恵の神でもある大己貴命(おおなむちのみこと)と
ビジネスパートナーだった少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。
そのため、経営者や商売の方が多くお参りしています。

以上です、最後までお読みいただき、ありがとうございました。