ムスヒ・ムスビ・結び・産霊という考え方があります。
違うもの同士が結びあって、より高次元の物が産みだされる、のです。
例えば、
縦糸と横糸が織合わさって布になります(1次元から2次元平面へ)
板を合わせて空間になります(2次元から3次元へ)
男女が交わって子が出来ます(ムスヒで出来るので、むすこ・むすめ)
太陽の光と水、温度、肥料で稲(米)が出来ます。
手元にあるミネラルウォーターを飲むと、体内で一体となります。
血液の一部になったり、尿として老廃物を排出する重要な役割を担います。
ご飯を食べると、身体の細胞に変わったり、エネルギー源になります。
物質的なことに限りません。
満腹感で幸せな気分になったり、
人と一緒に食べると仲良くなれます。
「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、仲間としての一体感です。
神社で祈祷を受けた後でお神酒をいただくのも、
神様の氣の入った酒をいただくことで(酒は氣がよく溶け込みやすいとされます)
神様と一体となる・むすぶためです。
直会(なおらい)という大勢で飲食するのも、神様・皆さん方と一体になる、つながるためです。
苔生すという言葉も、岩場に緑色の苔が生じてくる様を表現しています。
蒸すという言葉も
冷めきっている中華まんが蒸気により、温かく柔らかく味わい深くなる様を表現しています。
蒸気でお肌に潤いを与えて美肌作りにもなります。
「庵を結ぶ」という表現もあります。
木の棒や板、萱(かや)を集めてきて、質素な建物をたてることをこのように言います。
ムスヒとは、外のものをどんどん取り入れていく考えです。
異種の物であっても受け容れていきます。
受け入れ・受け止め・許容・承認…日本人はこれがよくできています。
大陸から弥生人が稲作を伝えました。
大陸は戦乱の時代です。
そのため渡来人がたくさん日本にわたってきました。
関西地方では1/3が渡来人だったとも。
渡来人と土着の人たちがどうしたら仲良く一緒に暮らしていけるか?
土着の人たちは受け入れるし、渡来人も工夫します。
聖徳太子は「和を以って貴しとなす」(十七条憲法第一条)と書いています。
和が一番大事だよ!と第一条で宣言しています。
外国の文化・宗教を入れて日本に合うように造り替えていったのです。
飛鳥時代に仏教が日本に入ってきました。
仏は外国の神だから、日本の神々が怒ると反対する豪族もいました(物部・中臣)。
仏教側から出されたのが、神と仏は同じものだから、問題ない!ということでした。
どういうことかというと、仏教では輪廻転生すると考えます。
そこで
日本で生まれた時が神、
インドで生まれた時が仏、
だとしたのです。
神も仏も同じなんだから、一緒にお祀りしても問題ない、としたのです。
これを神仏習合と言います。
幕末までは神と仏、神社と寺は一緒だったのです。
だから今でも、
寺の中に神社があったり(お稲荷さん)
神社で般若心経(仏教のお経)を読経したり
寺でお祓いを行ったり。
ある神社は市杵島姫命(イチキシマヒメミコト)という神の名前だけど、
弁天さんという仏教の仏の言い方もします。
神仏習合では性質の似ている神と仏を一緒にしました。
大日如来&天照大神(いずれも太陽で宇宙の取りまとめ役)
聖母マリア&観音(慈愛)
阿弥陀如来&八幡神
釈迦如来&日吉神
日本には世界中の料理が集まっています。
インド料理・タイ料理・中華料理・西洋料理、メキシコ料理、…
なぜ、このようにたくさんの国々の料理が集まるのでしょう?
また、ワールドカップの時、なぜ日本人は他国の応援をするの?
と質問が来たことがありました。
内と外をそれほど分け隔てていないからです。
それが表れているのが家屋と庭園です。
西洋庭園は、宮殿と庭園は区別され、その敷地内で完結します。
日本庭園は、障子も一切取り払い、庭園と一体となります。
借景といって敷地以外の景色も自宅の景色にします。
仏教を受け容れるという素地があったから、仏教が栄えました。
仏教発祥の地インドや経由地中国・朝鮮では絶えています。
中東や欧米に仏教をそのまま持って行っても広まりません。
受け取れる状態・媒体が無いと受け取れないからです。
例として、地球が明るく暖かいのは、空気があるからです。
テレビもアンテナが無いと映りません。
受け入れる・受け取る・受け入れる素地があること、これが日本人の特性なのです。