こんにちは、古神道と風水の研究家ヒデです。
日本人の特徴は古来より、
白黒つけない・善悪をつけない・あいまい・和を重んじる・自己主張を抑える、
とされます。
今回はこの詳細を書きます。
この記事の目次
1.白黒はっきりつけるか否か
白黒などの区別をつけないで一緒に扱う考え方を一元論と言います。
逆に白黒はっきりつけるような考え方を二元論と言います。
現在は欧米的な教育やビジネスの考え方の普及で、
日本でも二元論の考え方をする人が多いようです。
正義か悪か、得か損か、プラスかマイナスか、〇か×か、…
この二元論は、物事を一刀両断して結論がはっきりします。
yesかnoか明確で、うやむやになりにくいです。
これが二元論の長所です。
二元論の短所は、対立を作り上げます。
議会などでは与党・野党、賛成派・反対派に分かれて議論しますが、
ののしりあいになることも多く、互いの憎悪を引き起こします。
また、AかBか択一的になるので、選ぶのにかかわりの強い事情だけ残り、
中間的事情は無視されがちになります。
一元論は良くて二元論は悪いと言いたいのではありません。
「どちらがいいか」という考えは二元論そのものです。
そうではなく、両方の考えを取り混ぜればいいのです。
二元論は比較的わかりやすいと思いますが、
一元論はわかりにくい、という方も多いです。
説明するより、例をあげるのがわかりやすいかもと思い、以下書きます。
2.日本語の英語などとの決定的違い
一元論は日本語にも表れています。
日本人全員が義務教育を受ける英語と比較します。
①英語の構造
英語は主語はっきりしており、主語の次に述語(動詞)が来るので、
誰のどういう主張か・行動かが明確です。
父が言った・鳥が鳴く・飛行機が飛んだ、…
結論も明確です。
その後に修飾語が続きます。
②日本語では主語をぼやかせる
日本語は主語のないケースが多々あります。
どういう主張なのか内容はわかるのですが、
誰の主張かはわからないのです。
「~といわれております」がその例です。
主語がないのも、
自分個人の意見なのか、会社組織の総意なのか、世間一般でいわれていることなのか、
その点をあいまいにして
「そういうことですから…」「そうなっているらしいですよ」「そういわれております」
相手に理解してもらうやり方です。
英語には訳しにくい言い方です。
③日本語では結論をぼやかせる
日本語は結論は最後に来るので、最後まで聞かないとわからないのです。
「私は○○が好き…」の後に来るのは、「です」という肯定か「ではない」という否定か、
真逆の結論があり得ます。
日本語は最後まで話を聞かないとわからないのです。
逆に言うと、話し手は結論を最後まで先延ばしにできます。
相手の顔色を見ながら、結論をぼやかすことができるのです。
文法面では自由闊達に言いたいことを言える言語とさえ言えます。
英語ではそれができません。
主語・動詞と順番に来るので、論理展開が明確になり、一目瞭然。
日本語の場合、主語をぼやかすのか、結論をぼやかすのか、
話を全部、最後まで聞かないとわからないのです(笑)
しゃべりながら相手の顔色を見て、
強い感じにしたり、言い回しをソフトにしたり、話題を変えたり。
いろいろ解釈できるようにぼやかしたり。
自分が主張するのではなく、相手の顔色を見ながら調和できるように、
相手とコミュニケーションをとっていたから、
このような言語構造になったのでしょう。
④どちらがいい?択一の考えは不要
英語などは単純明快で使いやすいでしょう。
欧米人は日本人に対して何を考えているかわからないと印象を持ちますが、
日本人は不都合なくコミュニケーションとれます。
白黒・善悪など明確に結論をつけないコミュニケーション術。
他国にはない、日本人の優れたスキルだと思うのです。
祝詞(大祓詞など)にもありますが、神々は
「かむはかりにはかりたまひて」
話し合いで皆で決めましょう、としたのです。
ただし、議論でぶつかり合う・白黒はっきりつける、のではありません。
数の論理で、有無を言わさず決めるのでもありません。
敵も味方もない、一緒に飯を食いながら、酒を酌み交わしながら、
同じ仲間として同じ目線で、相手の立場や苦労も分かち合いながら、
落としどころを決めていくのです。
調和です。
A案・B案どちらかではなく、
両者が連続していてちょうど良いところで結論を決める、という考えです。
3.日本人はきっちりが苦手、楽しいのが好き
①いい加減だから、キリスト教もイスラム教も何でもOK
宗教観も日本は特殊です。
神道の国でありながら、仏教を受け入れ、
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教など何でもありです。
どんな宗教の方でも日本に住めます。
日本のキリスト教信者は全人口の1%未満とされます。
江戸幕府や初期の明治政府のようにキリスト教禁止しているわけでありません。
信仰は自由のはずなのに、キリスト教が日本に浸透していません。
その理由はここにあります。
キリスト教はきちんとした教義がありますが、
きっちりしたものは日本人には合わないのではないかと思います。
日本人はいい加減なものが好きなのです。
「いい加減」は「良い加減」です。
クリスマスはキリスト教の祭典なのに、
「楽しそうでいいじゃん」と年中行事に取り入れます。
正月は家族であるいは友達とワイワイと神社に初詣に行く、
おみくじを引いたり、記念写真撮ったり。
葬式・法事はお坊さんにお願いして仏教式。
普段会えない親族同士の社交の場になります。
親族同士飲み食いして仲良くなり、ご先祖・故人も喜んでいるのでは。
結婚式は、チャペルでドレスもいいなあ~神社で和装もいいなあ~と。
実にいい加減です(笑)
日本在住のイスラム教徒やユダヤ教徒に対して、「メリークリスマス!」と笑顔で言ったり。
だからこそ、いろいろな宗教が日本で存続できるのです。
②戒律で縛られるのは向かない?
イスラム教徒は1日に5回メッカの方角に礼拝したり、
豚肉食べてはならない、お酒はダメ、
女性は顔と手以外は隠さなければならないとか、多くの厳しい戒律があります。
日本人には合わないでしょう。
日本人はグルメなので、食べ物の制限されたら大変です(汗)。
ミシュランの星のついた店の最も多い国が日本です。
さらに世界一の酒好き…
ビールや日本酒やワイン、ウイスキー、焼酎など種類豊富。
居酒屋や酒の自販機など、町中に酒を飲める機会にあふれています。
これでは戒律を守るのは難しいです(笑)
テキトーでいい加減で、節操がなく、面白ければ何でも真似します。
それが本来の日本人です。
だからこそ、日本には世界中の料理や酒やファッションがあるのです。
二元論は「あれとこれは違う」、というふうに分けます。
「これは正義か悪か」など。
しかし日本人はわけるのをあまりしません。
「良い部分もあれば悪い部分もある」など一つに捉えて、わけないのです。
4.勝ちを必ずしも尊重しない
日本人は惻隠の情があります。
「判官びいき」という言葉があるように、
敗者に対する思いやりと優しさがあります。
戦においても「勝負は時の運」と言います。
勝ったか負けたかという結果を単純に区別しません。
「負けるが勝ち」という言葉も日本人が好きな言葉です。
関が原で徳川家康に敗れた西軍の将、石田三成に対しても、
豊臣秀吉の恩・義を貫いたから、敬意を持たれるのです。
大軍を前にして負けるとわかっていながら立ち向かった、楠木正成や白虎隊。
勝者(大軍)はほめたたえられていません。
「勝つことが素晴らしい」かと思いきや、
そうではないのです。
日本人的な一元論の価値観・あいまいさが現れています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
幸せ大人婚カウンセラーの妻、小林朋子のブログです。
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