『歴史の活力』宮城谷昌光 文春文庫より、参考になる個所をピックアップします。
この記事の目次
歴史を学ぶのは幸せになるヒントを得るため
戦後、経団連会長を六期(12年)つとめた石坂泰三は、「財界総理」とよばれ、
かれの言動はいまだに語り種になっているが、かれの信念は
「王道を堂々と歩くべきである。覇道ではだめだ。」
というところになった。
…
みな同じような人生のはずである。
たったそれだけの人生であるのに、
どうしてある者は強く、ある者は弱く、ある者は賢く、ある者は愚かなのであろう。
なぜ成功する者がいれば、失敗する者がいるのであろう。
この素朴な問いに答えられるものは歴史をおいてほかにない。
江戸時代晩期の儒者である佐藤一斎の箴言集『言志四録』に、
「いまの社会は過去の歴史から生じ、これからの世界は活きた歴史である」
という意味の言葉があるが、
社会が人間の幸福を追求する構造を持っている限り、
歴史も同じ構造を持っているはずである。
つまり歴史を知ったり学んだりすることは、幸福を追求することにほかならない。
日本人は形而上のことについて思考を深めたり展開してゆくことが苦手で、
昔から中国人の頭脳を借用してきた。
…
端的に言うと、王道とは徳によって天下を治める道であり、
覇道とは武力によって天下を治める道である。
明の胡居仁は『居業録』のなかで、
「誠なる者は王たり 仮る者は覇たり」
と、いっている。
真なる道理を行う者が王者であり、
道理を本当に理解できず、想像してまねする者は覇者である、というわけだ。
胡居仁はもうすこし具体的に説明し、
「政事のひとつひとつが、道理にしたがっておこなわれ、
すこしもおのれの心を加えないのが、王者の政治のし方である。
すこしでも利を考えれば、覇者の政治になってしまう。」
ともいっている。
石坂泰三の考えた王道とは、おそらくそれであろう。
思いもよらないことで…うまくいく
東京電力の社長であった青木均一に、おもしろい話がある。
若いころの青木は、やり手だけにうるさ型で、本社の人間からうとまれ、
愛知県の高浜へ左遷された。
高浜で勤務するようになった青木は、すっかり落胆し、口数がめっきりへった。
ものをいう気力もなくなった、というべきだろう。
会議や会合があっても、人の話すのを黙って聞くだけで、
いっさい自分の意見をいわなかった。
ところが、そうした青木の態度が、がぜん、高浜の従業員から、高く評価されはじめた。
「今度、本社から来た若いやつは、すこしも威張らず、話せるではないか」
ということである。
それは、そうだ。
青木は喋らないのだから、話す方は一方的に話せる。
話す方からすると、青木はよく人の話を聞いてくれる、となった。
なんと青木は、黙っているだけで、ますます信頼され、人望を高めた。
青木はいう。
「世の中とは、こうしたものだ。
私は初めて、世の中という難問題に対する解答を、この地の果てと思ったところで得た。」
有用だと思ったことばが、実は無用で、
無用だと思っていた沈黙が、有用であったという話である。
戦略より人間を学ぶこと
どんな相手や部下が信用できるか、リーダーは、人を見抜く目をやしなう必要がある。
武田家が信長に攻められて滅ぶとき、勝頼は、落ちゆく先をどたん場であやまった。
つまり、小山田信茂を頼るか、真田昌幸とともに行くか、二者択一であった。
勝頼は、昌幸が甲斐の武将でないことで、武田一門である信茂のほうをえらび、
裏切られて、死んだ。
…
勝頼が死んで、三か月後に信長が死んでいることをおもうと、
人は戦略にたけるよりも、人間を学ぶ方が大切であることがわかる。
歴史とはケース・スタディのためのテキストである。
問題意識をもって接することが、リーダーの心得である。
新入社員への教訓…今の自分はできているか?
阪急を創った小林一三…
新入社員の甥に向かって、仕事とは何か、ということを諭すもので、そのなかの
「世の中へ出るのは、つまり自分の思うようにならないということを経験するためである」
という言い方は、小林独特のものだろう。
世の中へ出ることがどういうものかはっきりわかると、
次に愉快に働かなければ嘘だということもわかってくる。
では、愉快に働くにはどうすればよいか。
「それはむずかしい事でも何でもない」
と、かれはいう。
その日の仕事をその日のうちにかたづけること、手近なものを始末すること、
たとえば、自分の足許のごみを拾って、くずかごに捨てることから始めるのだ、
と小林はかんでふくめるように述べている。
毎日観察して感じ取れることはないか?
観察することで、そこから情報を生み出す力をやしなえる…
大正のなかばに、高碕達之助が東洋製罐会社をつくったとき、
小林一三にむかって、郊外の小さな家を売ってくれ、といったら、たいそう叱られた。
なぜ小林一三が高碕を叱ったかというと、こうである。
高碕の工場は大阪の北部にある、それなのに家を工場に近い北部に持ちたいという。
家を持ちたいなら、南に住みたいというべきである。
家を出て、大阪の街を見て、工場に通うようにしなければ時勢に遅れてしまう。
だから「アホウめ」とったのである。
街は無言のまま様々な情報を発している。
たとえば不況になると女性の服装に縞模様がはやるといわれる。
自宅から会社まで自動車で通うにしても、車窓越しに街の表情を見て、
何かを感じることができる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。