神道とは生き方~順応・待つ・感謝・認める

神道を学ぶ上でとても有益な本の紹介をします。(詳しく書いたため、長文です)

『神道のこころ』葉室頼昭著 春秋社

葉室氏は昭和2年生まれ。

大阪大学医学部卒、医学博士、外科医・形成外科医でありながら

55歳で神職になるための大阪国学院に入学、神職の最高位・明階を取得。

藤原氏の家系出身者しかなれない奈良・春日大社の宮司を務められた方です。

医学・科学の視点からの神道のお話が特徴的です。

今回はこちらの本で、

葉室氏の語り口・ニュアンスをぜひ届けたい個所は抜粋し、

それ以外は要約しました。抜粋はその旨、明記しております。



1.西洋と違う日本の直観力を世界に伝えていく

(抜粋)日本人と西洋の人間と根本的に考え方が違うのは、唯物的というか、理性的ですね。そういうものの考え方で発展してきた文明、文化だから、常に人間の理屈で全部考えて、やってきたわけでしょう。…西洋の人なら理屈で、ここには神を祀って、神を崇めて、みんなを統制するのにいいところだ、そういう考えでおそらく決めると思うんですけど、日本人はそうではなくて、直観で、今でいえば神聖な場所というか、霊的な場所を知る能力が非常に強かったと思うんですね。どっちが優れている、劣っているというのではなくて、全く違うということです。

2.滅ぼしたら自分も滅びてしまう

(抜粋)外国の王朝は武力でもって国を征服するでしょう。そうすると、そこの宗教から文化まで全部滅ぼすわけです。それで自分の持っている宗教や文化を押し付けて国を大きくして治めた。ところが、そういう国は全部滅びているのです。その土地の文化、伝統、宗教を滅ぼしたものは、どんなに武力が強大になり、どんなに経済力が発達しても、滅びてしまうんです。

ところが大和朝廷のやり方は、…それぞれの氏族の神様を全部朝廷に持ってきた。それぞれの神様を天皇がお祀りいたしましょう。…だからみんな反抗しないで従ったんです。自分が拝んでいるところの祖先の氏神様を全部天皇が祀ってくださる。いま宮中に、賢所と皇霊殿と神殿と三つのお社がある。賢所というのは天照大神の斎鏡、皇霊殿は代々の天皇の御霊、神殿は日本全国の八百万の神さまを祀ってあるところです。…

日本人は決して単一民族ではない。いろいろな氏族がいたわけでしょう。それぞれが祀っている神様を全部天皇家におさめた。それで決して外国のように滅ぼさなかった。だから天皇家は続いているんです。

神道というのは珍しいんですね。キリスト教だったらキリストだけでしょう。ほかの神様を祀らないでしょう。ところが神社は全部神様が違う。それで統一されている。本当だったらそれぞれがお互い争うはずなんだけれど、神道同士が争ったという歴史はないですね。…大和朝廷がそういうやり方をやったわけですが、これが本当のやり方です。だから絶対もとの宗教を滅ぼしてはいけない。滅ぼしたら自分も滅びてしまう。そういうことを知っていたんです。

(小林:日本でも、

物部氏を滅ぼした蘇我氏は滅ぼされ、平家を滅ぼした源頼朝一族は滅ばされました。

弱い者は強い者に滅ぼされるという弱肉強食の考えでは、

強い者はもっと強い者に滅ぼされることになります。

滅ぼさないで共存する・認めるという徳による統治が必要です)

3.神が祓う神道、修行で祓う仏教

①仏教は修行、神道は修行ではない

(抜粋)神道では水の中に入って禊(みそぎ)をします。ただし、それは修行ではない。修行というのは坐禅を組んだり、自分の努力で無我になろうとするのが修行です。神道は神の恵みと祖先の恩で生かされているというのが根本なんです。だから、だから、水の力、神の力によって自分の罪・穢れを取っていただこうというのが禊です。自分の力、自力でやろうとするのとは違う。よく滝に打たれて大声で経文を唱えて、一生懸命無我になろうとしている人がありますが、あれは修行です。ああいうのは神道にはありません。たしかに神道でも滝に打たれて禊をします。水中で祝詞を上げて禊をやりますが、それは水の力、神の力によって自分の罪・穢れを祓っていただこうということです。自力ではやらない。それが仏教と神道と違うところです。

神道の根本は、生かされているということです。だから祖先の祭りでも、仏教のほうはお坊さんがお経をあげて、供養しようという。神道は違うんですね。神さまにお願いして、祖先をしあわせにしていただこうというものです。

(小林:がんばって、お経を唱えたり坐禅したり祈ったり滝に打たれたり、

キリスト教でいうと必ず日曜日に仕事しないで教会に行くとか、

そういう頑張りというかは無いのです。

祝詞挙げてお酒や供物をささげてお辞儀して感謝します。)

②祓い・禊は人がやるのではない

(抜粋)お祭りの前に神職が大麻(おおぬさ)という細長い紙きれのついた棒を左右に振りますでしょう。あれはお祓いをしているんですが、その奉仕している神職は「みんなを祓っている」と思っているかもしれないけれど、違うんですね。それはとんでもない話で、あれは「神が人を祓われている」のですね。神さまというのは、ものすごいお力を発揮され、みんなにお恵みを与えようとしていらっしゃる。その時、お恵みを枯らすような体であったならば、穢れた(気枯れ)体では、せっかくのお恵みが死んでしまいます。それで神さまは皆さんにお恵みを与えるために、罪・穢れを祓うんです。人間が祓っているんじゃありません。

(小林:主役は神です。)

③祝詞も漢字で意味をとらえない

(抜粋)漢字は、本来の神の言葉に当てはめただけの当て字ですから、いくら漢字を解釈しても大祓の祝詞の本当の意味は分かりません。だから漢字の意味を考えないでそのまま読みなさい。意味が分からなくてもいいから読みなさい。それは神さまの言葉なんだから、それを口にすれば罪・穢れが祓われますよと、皆さんに言うのだけれど、、なんでも理屈で解釈しようとする人が多く、言ってもすぐ大祓の意味は何ですかと聞かれます。なかなかわかってもらえません。

日本には昔は文字がなかったといわれていますね。それは本当かどうかわからないけれど、その後、中国や朝鮮から漢字が入ってきた。昔日本人には文字がないから語り部というのがいて、日本の歴史をすべて次々暗記力のいい人が語り部となって、暗記して伝えてきたというんですね。それが奈良時代にこれではいかん、本当の書物を作ろうと、できたのが『古事記』でしょう。…稗田阿礼(ひえだのあれ)という語り部が日本の歴史物語をしゃべり、それに大安万呂という知識人がそれをいちいち漢字を当てはめたわけです。できたのが『古事記』ですね。

年月が経つと、本来の日本語がわからなくなって、漢字だけが残った。すると、後代の人が漢字を訳し始めた。ところがそうすると、全然別の意味になってしまうんですね。

(要約)「かみ」を漢字「神」に当てはめました。

後の人たちがこれを、神=ゴッドと訳してしまいます。

キリスト教でいうような唯一神、ゴッドだろうと判断してしまいます。

そうすると日本語の「かみ」と全然違ってきてしまいます。

「かみ」は最も尊い人・存在・場に対する敬語です。

(小林:例えば、「お上」(幕府・大名・政府・お役所)、「かみさん」(奥さん・嫁さん)

「女将」(旅館・料理屋のリーダー的女性)、上座(目上の人が座る場所)、

川上(上流の水の澄んでいる場所)。

なお、「奥さん」「奥方」というのは、屋敷の最も奥の部屋が居室にしたからとされます。)

④一緒になる・行うのは波動をともにする神事

(要約)神人共食・同食信仰というものがあり、

神様と人が一緒に食事をとる、あるいはお供えしたものをもらい受けると、

神様のお恵みを頂けるという信仰です。

物に波動が移ります。

神さまにお供えした神饌には、神さまがお喜びになってお召し上がりになった

最高の波動が食事に移っています。

それを我々が食べたら、神の波動がそのまま入ってくるという同食信仰なのです。

名残の一つが、結婚式の三三九度の盃です。

新郎と新婦が神さまのお下がりの同じお酒を飲むことで一つになるのです。

会社などの忘年会も、みんな同じものを食べることで、みんな一つの波動になるのです。

「同じ釜の飯を食う」といいますが、神事と同じです。

西洋の風呂は、一人入ったら全部流して、また新しいお湯を入れます。

日本の風呂は同じお湯に何人も入ります。

お湯がもったいないからとか貧乏だからということではなくて、

同じお湯に入ることで、みんな一つになるという思想があるからです。

(小林:祭りの神輿も、みんなと同じ衣装で息を合わせて同じ動作をします。

一緒に酒を酌み交わし、同じものを食べます。

みんなと一体になるためです。)

4.どう生きていくのか

①死とは生きるための準備

(要約)生命は有限だからこそ、

この生の間を精いっぱい生きなければならないことを考える。

人間が永久に死ねないのだったら、誰も生命なんて考えない。

だからわざわざ死というものを作って、有限にしている。

生命の神秘・すばらしさを悟らせるため、死というものを作った。

死んでもまた生まれてくる、すべてが循環している、死んだら終わりということもない。

昼→夜→朝と循環するのが大宇宙の仕組み。

死とは次に生まれるための準備。

死ぬということは悲しいことでも何でもないということになってくる。

夜になって休むということと同じで、それが死と同じ。

朝になったら目が覚めてくるから、夜寝ていること(死)は次に生まれてくるための準備。

②見えないもの・わからないものが多数

(要約)この世は見えないものが真実、実在である。

見えるものはほんのわずかしかない。

眼球が感じる波動しか見えない。

例えば赤外線・紫外線・X線を我々は感じないが、宇宙には多くの波動がある。

犬が見ている世界と人間が見ている世界は、眼球が違うから違うはず。

今の生物学では犬が見ている世界は白黒の世界だと言う。

人間はカラーが見える。

どれが本当なんだ、カラーが本当なのか、白黒が本当なのか。

人間はカラーが本当だと思っている。

人間中心で、人間がカラーに見えたら、この世はカラーだと思っている。

(小林:人間は赤外線や紫外線が見えないから、それらの光は無視してしまっているが、

存在していることは間違いありません。

人間は見えるものしか見ない、見えないものは存在しないと思いがちです。

暗闇では、人間にとっては何も見えない状態ですが、

赤外線の見える/少しの光でも十分な動物にとっては、よく見えているのでしょう。

そういう動物が人間を見たら、「人間は太陽の出ている時しか見えなくて不自由だな」

と思うかもしれません。)

③人間も鹿も別の世界を生きている

奈良公園の鹿は車が来ても悠然と歩いている。

人間だったら、車が来たからどけろとか、クラクションを鳴らしたら逃げるだろうと考える。

これは人間の発想。

信号が青になった、赤になったというけれど、鹿には色は見えないのではないか。

人間と同じ音が聞こえているかどうかもわからない。

(小林:車のクラクションの音は鹿に聞こえるのか?はわかりません。

イルカは人間に聞こえないソナー音で仲間と交信しているらしいです。)

鹿は鹿の見ている世界があり、それで悠々と行くわけ。

鹿は鹿の世界、全然別の世界を生きている。

人間は人間社会だけがすべてだと思っているが、それが間違いのもと。

(小林:鹿は車にひかれないと思っているから、悠々と歩くようです。

なぜ車道を通らずに横断歩道を渡るのか、不明)

④こちらによって効果が異なる

(要約)コブラに嚙まれるとその毒で人間は死ぬ。

マングースはいくらか耐性があるようで、逆にコブラを殺してしまう。

コブラが猛毒だというのは、人間にとって、ということ。

人間関係も同じで、あいつは嫌な奴だというのは、こっちにとって嫌な奴ということ。

その男性をものすごく愛している女性もいるわけで、その女性にとっては素晴らしい男性。

だから「嫌な奴」というのはいない。

あくまでもこちらにとって、ということ。

立場が違うと同じ人間が変わって見える。

こちらが変われば相手も変わる。

嫌な奴だったら、こちらが嫌な奴じゃないと心を変えたら、

嫌な奴が良い奴に代わってくる。

良い・悪いはこちらが決めている、それがわかればこの世から悩みがなくなる。

(小林:受け取り側次第ということですね。

宇宙で太陽の表面温度は6000度あると言われていますが、宇宙空間の温度は-270度の極寒。

太陽の熱は宇宙空間を温めないということですね。

地球が暖かいのは、太陽の熱を受け取る大気・地表があるからです。

ところで、一番太陽に近い水星の温度は、昼は400度、夜は‐160度、平均160度。

二番目に太陽に近い金星の場合、1470度とか、最低でも400~500度と水星よりも熱いよう。

太陽から遠い金星のほうが熱いのは、金星の大気が熱を吸収しやすいという、

受け取る側の要因があるようです。)

5.生き延びていくための知恵

①頑張るのではなく…順応できる?

(抜粋)努力というのはまた考え違いをしています。…氷河期が来て、地球が冷えた時、これを耐え抜いた生物が生き残っています。耐え抜くというと、俺は寒さなんかに負けるものかと、自力で頑張った生物だと思われるでしょうが、そういった連中は全部滅びている。これは考え違いの努力です。努力というと、自分の力でやるのが努力だと思っている。こういう生物は全部現在はいない。

いかに自分の我を無くして、自然の変化に順応するかというのが本当の努力なんですね。そして順応した生物が進化するんです。寒さなら寒さに順応するように体を変えた生物…進化していったんですね。…厳寒に耐えるから毛がふさふさしている。…寒いといって毛をはやさないで、頑張っていたら死ぬんです。そうではなくて、寒いのか、そうか、じゃあ、毛を長くしよう。これが順応です。それが努力なんです。努力というのは自分の力でやることと違います。我を無くして、いかに自然に順応していくかということが努力なんです。考え方の根底が違うんですね。

(小林:社会生活に置き換えると、新しい職場環境・新しいスキル・新しい人間関係

・新しい習慣に順応できるか、ということですね。)

②待てる?

(抜粋)氷河期が来たら、寒さに耐えるように順応して、寒さがなくなるまで待つというのが原点なんです。順応プラス待つことができない生物は滅びている。いかに待つかということなんです。

車に乗っても一台でも前に行こうとする。駅のエスカレーターでも一分も待っていられない。エスカレーターを駆け上がっていく。…そのような人は滅びるんです。…待とうとしない生物はみんな滅びているんです。

エレベーターで階のボタンを押しておいて、クローズ(閉じる)のボタンを押すでしょう。階のボタンを押せば、自然に締まるようになっているのに、その何秒間かが待てない。必ず上のクローズのボタンを押す。

高速道路に乗っても追い抜くでしょう。どうぞお先へと言った人が生き残るわけです。

(小林:時間に追われがちな現代社会・サラリーマン生活では、

待つ・余裕を持つための工夫が必要になるようです。)

③生かされていることに感謝できてる?

(抜粋)自分で生きていると思うから病気するんですよ。悩み、苦しみはすべて自分で生きているというところから出発する。自分で生きているということはあり得ない。そんな生物は一匹もいない。生かされているという本当のことを知りなさい。そうしたら感謝する心が生まれるでしょうと言うことです。

では感謝とはいったい何かということになってくる。…お日様は明るくて暖かいとみんな思っているでしょう。これが間違いだといっているんです。…太陽の光が暖かくて、暖かいんだったら、太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて、暖かいはずです。ところが、ここは真っ暗で、冷たい。…太陽の光は暖かくも明るくもないんですね。

だけど地球では明るいじゃないかというのは、地球の周りに空気があるからですね。空気で反射すると光と熱が出てくる。反射しなければ光も熱も出てこない。空気がなかったら明るくもなんともないんです。空気の反射のおかげで光と熱が出てくる。これと感謝は同じことですよと言っているんです。

神のお恵みはみんな平等に頂いている。でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。なぜか、感謝ですよ。神の波動は感謝しなければお恵みとなって出てこないんです。…反射したら光と熱が出るということがわかったら、感謝したら神のお恵みが出てくるということがわかるわけでしょう。…そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。感謝しない限りは出てこない。ジョギングしたって、うまいものを食ったって、そんなものは問題にならない。基本は生かされていることに感謝する。そうするといただいている恵みがエネルギーとなって出てくる。

…人間の体はただのモノじゃないんだから、手術したら勝手に治るかというと、治らないんです。治すだけの力が出てこなければ治らないでしょう。そんなものはいくら栄養を取ったってダメです。…宇宙からもらっている、祖先からもらっているエネルギーを出さなければ、本当には治りません。

…人間は決して偶然で誕生したのではありません。特定の意思、神の心、これがなければ地球、人間は出てこない…心がなければ、この世の中に何も出てこないのです。

この茶碗一個だって、誰かが茶碗を作ろうと思わなければ出てこないでしょう。…人間の健やかな体は、いい心、健康な心を持たない限り出てこないんです。不平、不満を言っていると決して健康な体は出てこない。自然はそういう仕組みになっているわけです。だからまず感謝して、健康な心を持ちなさい。

(小林:感謝する→喜びの心→プラス波動→物事の良い面に目が向いて力がわく

不平不満→落ち込・怒りの心→マイナス波動→悪い面に目が向いてさらに落ち込む

心理学のNLPの言葉があります。

「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しくなるのである」

感謝するから、より良い人生になるのです。)

④認めている?

健康になりたかったら細胞を認めて褒めてやりなさいというんです。無数の細胞一個一個にお前は良く働いてくれるね、すごいね、おかげで俺は健康だ、ありがとうと認めてやったら、細胞がエネルギーを出してくれるよというんです。それを認めないで、自分の体だと思って一つも感謝しない。だから細胞が怒って病気になるんですよ。…

人間で一番うれしいのは認められるということでしょう。一生懸命やったのを誰も認めてくれなかったら、これほど哀れなことはないでしょう。力が出てこないですよ。…認められるということがエネルギーが出る原則ですね。そういう仕組みになっているんです。

細胞は遺伝子の中に、医学的に言うとアポトーシスという作用が記憶の中に入っている。アポトーシスというのは日本語で言うと枯葉が落ちるというような意味なんです。細胞は自分が認められないと自分から死んで、消えていくという記憶がある。だから本当に細胞を認めないと消えてしまうんですよ。

…手術して一週間でも寝ててごらんなさい。足が細ってしまって歩けないでしょう。あれは寝ていると足の細胞が、ご主人さまは私を必要としないなと思うんですよ。歩かないから必要ないんですね。じゃあ、はい、さようならと、パーッと消えていくんです。だから力が出なくなるんです。

それと同じことが脳の細胞にも出てくる。年取って脳を使わなくなる。老後をのんびりとなんてやっていると、私はもう必要ないんですね、はい、さようならと消えてしまう。だからボケ老人の脳は本当に小さいですよ。…ボケないためには脳に感謝し、使えというんです。絶えず新しいことに向かって興味を持て、使え、そうしたらボケない。使わないからぼけてしまうんです。

五十肩の人…治らないと不平を言う…だけどあなた、自分の方に感謝したことがありますか。そう言うとみんなびっくりする。長年の間重いものを持ったり、字を書いたり、すべてこの手はやってくれているではないか。それをあなたは一度でも感謝したか。だから方は怒っているんだよと。だから認めてやりなさい。申し訳なかった、今まで認めないでごめんねと言って撫でて、ありがとうと言ってあげなさい。

(小林:体を「なんでこうなんだ!」といじめるのではなく、

「いつもありがとう!」さすってあげたり、いたわっています。

身体はあなたを支えてくれる・役立ってくれる味方です。)

6.自然と共に生きていく考えがなぜ大事?

①神道はもともと信仰でもなかった、では何?

(抜粋)神道というのはもともと信仰ではありません。本来、日本人の生活、知恵を指して神道と言っていました。その特色の一つに、共生ということが挙げられます。日本人はすべてのものと共生するという見事な、共に生きるという考え方を持っていたのです。…地球の環境破壊、大気汚染…人間の知恵で、人間の頭で考えて自然を回復させてやろうとしても、それでは永久に自然は回復しません。共生という考え方が根底になければ本当の自然は回復しないのです。自然と共に生きよう。人間の力で自然を回復するんじゃなくて、自然を生かしながら、同時に人間を生かす共生という考え方無くして、一歩も進むことはできません。

(小林:人間の頭で考えてというのは、人間の都合・経済合理性・利権が絡んでくるため、

本当に自然環境に良い回復になりにくいでしょう。)

②奈良の鹿は飼われていないのに、なぜ逃げない?

(要約)共生の見本が奈良。

外国でも公園があり、リスがいたり、鳥が飛んでいたり、いろんな動物が買われていたり。

奈良では野生のシカが人間と共生している。

しかも山奥ではなく、都会のど真ん中で。

たいていの日本人は、奈良の鹿は人間に慣れているから町の中にもいるんだと思っているが、

鹿が人に慣れているのではない。

人間が長年にわたって鹿と共に生活しようとしてきたから、鹿がいる。

お産が近づいたメス鹿を捕まえて鹿苑に入れて安全にお産ができるようにしているが、

係の人が捕まえに行くと、素早くその心を読んで逃げていく。

ある地方の春日神社の願いで、奈良の鹿を20頭寄付したことがあった。

奈良の鹿は人に慣れているから、神社の境内で生活するであろうと思いきや、

鹿を放したら、みんな山に逃げて行ってしまった。

それは、その土地の人が鹿と共に生活することをしていないので、

それを知った鹿は逃げてしまった。

このように奈良の人々は昔から鹿と共に生活するという原点を行ってきた。

③山の木を伐るとなぜ海の魚が減る?

(要約)山に降った雨水は森に蓄えられ、一定の水量・水温を保ちながら流れ出す。

その水に葉っぱの栄養分が溶け込んで河口へ流れ、植物プランクトンが増える。

それを目当てに魚が集まり、魚が住みやすい環境ができた。

人々は豊かな森を維持することで魚を沿岸に集め、魚を捕り生活を豊かにし、

魚の内臓を森の肥料にしてきた。

自然の循環のシステムによる共生の姿。

植物プランクトンは地球上の炭酸ガスの三分の一を光合成により分解している。

しかし、山の木を伐ると栄養が流れ出なく、植物プランクトンが減り、炭酸ガスが増える。

だから、山の木を伐る、川にダムを作ると、

栄養分は河口に流れなくなり、植物プランクトンは減り

海岸はコンクリートで固めると、魚は寄り付かないので、

人間は自分で自分の首を絞めることになる。

④温室効果の炭酸ガスを吸収してくれる生物

(要約)地球も昔は、火星のように大気はほとんど炭酸ガスでおおわれていた。

それがどうして今のように酸素ができたかというと、

水ができてその中に貝が誕生した。

貝は、炭酸ガスから貝殻を作った。

貝殻を作るには多量の炭酸ガスが必要で、大気中にある炭酸ガスをどんどん吸収した。

炭酸ガスが少なくなってきて、葉緑素を持った藻ができ、光合成により酸素を作った。

だから貝を滅ぼしてしまったら、炭酸ガスが増えてしまう。

自動車の排気ガスを減らそうとか、一方だけの考え方ではダメ。

⑤多くの生物を殺したら人間も生きられなくなる…

(抜粋)地球上には、植物から虫から魚からばい菌から、無数の生物が生きていますが、お互いにバランスを取るようになっている。

(小林:

①菌類が腐敗物などを分解して栄養分にする

②その栄養分を植物が取り大きくなる

③植物を草食動物が食べる

④草食動物を肉食動物が食べる

⑤肉食動物の糞・死体を菌類が(①へ戻る)

このように循環しています。

多くの生物を殺したら、この循環が回らなくなります。

人体の腸内にも大腸菌をはじめとする菌類がたくさん住み着いています。

この菌類が食べたものを分解してくれ、それを小腸が吸収する流れです。

もしこれら菌類がいないと、小腸は十分に栄養分を吸収できなくなってしまいます。

共存共栄しているようです。)

(抜粋)他の生物がいないと、人間もまた生きていけない。人間もようやくこのことに気づいて、最近やっと自然保護になってきた。…西洋医学は病原菌によって病気が起こるから、そのばい菌を殺したらいいという考え方できていますが、ばい菌もまた生物ですから、これを殺し続けるとやがてその反動によって、人間もまた滅びるということにつながります。ばい菌も含め、すべてのものと共に生きるというのが、人間の本来の姿ではないかと思います。

以上です、長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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