『孫子』誰でもよくあること~利益に目がくらんで損害を過小評価しがち

こんにちは、古神道と東洋思想、兵学の研究家ヒデです。

利害を合わせて考える内容です。



「智者の慮(おもんばか)りは必ず利害にまじう」(第八 九変篇)

これについて2人の先生は以下のように書いています。

「物事には必ず利と害をともなうもので、利(害)ばかりで害(利)がないということはない。

したがって智者は、何事をするにも必ず利害を合わせて考える。

すなわち、我に非常に不利な状況でも、良く見直せば必ず有利な条件があるから、

この点を伸ばし、活用するように工夫すれば、成功する。

これに反し、我に絶好の状況でも、注意深く検討すれば、

必ず思わぬ危険(害)が伏在しているものであるから、

これを見出して、万全の対策をとらないと、意外な不覚をとる。

予め手当てをしておけば、害は予防できるのである。

利害を活用することも大切である。

諸侯を思うようにするには、従わないものには害を与えると脅迫する。

諸侯をよく働かせるには、仕事を与え、実行すれば利があり、

しなければ害があるように仕向ければよい。

諸侯を誘うには、利をかざせばよい。

利益と恐怖、それは、

どんな人間でも動かせる、強力な二本の梃子棒である。(ナポレオン)」

大橋武夫 著 『兵法孫子』マネジメント社より

「『孫子』はいかに敵をコントロールするかを、とことん追求した。

そこで活用する道具が、〈利益〉〈不利益〉〈急所〉といった要素だ。

欲望や防衛本能をついて、敵をこちらの意のままにしてしまおうというのだ。

これを逆から見れば、いかに敵から巧妙にコントロールされないかが

勝負の分かれ目にもなる。

〈利益〉とはこちらを抱き込むためのエサだし、

敵が手間のかかることを吹っかけて来るのは

こちらを消耗させるための手段なのだ。

敵をコントロールすることにいくら精力を傾けても、

自分がそんなエサに飛びついていたのでは、お話にもならない。

しかし、もちろんそれが本物の利益や、

まともに対処しないと危険な事項だという可能性もある。

敵が強力であればある程、そのエサも巧妙にカモフラージュされているだろう。

真鴈は、一体どう見分ければよいのだろうか

―そこで『孫子』が挙げるノウハウが、この

「目前にぶら下がった利益や損失は本物なのかを、正反対の要素をぶつけて考えてみる」

という思考法だ。」

守屋淳 著 『最強の孫子』日本実業出版社

利益ばかりに目がくらんで、

損害の可能性に考えを巡らさないようであってはいけない、ということです。

逆に、損害・リスクにばかり気をとられて、本来得られるはずの利益を逃してはならない。

もっと進んで、短所克服にばかりエネルギーを費やして、

長所・得意分野を見つけたり活かすことが疎かになってはならない、

ということでもあると思います。

一つのことにとらわれるな、

つまり物事を違う側面・あるいは多くの視点で見ろ・捉えよ、です。

そういえば以前、サイコロの1の目の裏側には6の目がある、

だから、ものの見方や考え方を180度変えよという、

一天地六の法則をビジネス書で学びました。

『一天地六の法則』著者:カカトコリ  サンマーク出版

柔軟なとらえ方・思考は、何千年の昔から必要です。

「道路はどこを通ってもよさそうであるが、通ってはならない道路もある。

敵軍はどれを撃ってもよさそうであるが、撃ってはならない敵軍もある。

城はどれでも攻めてもよさそうであるが、攻めてはならない城もある。

土地はどこでも奪取してもよさそうであるが、争奪してはならない土地もある。

君命はどれでも受けてよさそうであるが、受けてはならない君命もある。」

(第八 九変篇)

太平洋戦争の硫黄島の戦いで、米軍は大規模な爆撃が繰り返したため、

もう日本軍は全滅してしまっているだろうと思い、

上陸のために残骸を片付ける少数の部隊を海岸で作業させました。

ところが実際には日本軍はまだ健在で、海岸の塹壕に残っていた部隊は、

目の前で米軍の連中が作業しているのに我慢しきれず、発砲したのです。

これでまだ日本軍が残っていうことが米軍に知られてしまい、

前より激しい爆撃がされて、残っていた日本軍部隊も全滅してしまいました。

もし海岸の部隊が我慢して米軍が上陸してから攻撃すれば、

多大の被害を与えることができ、硫黄島攻略の展開が変わったかもしれません。

…戦ってはならなかった一例です。

1812年、ナポレオンのロシア遠征の話です。

ナポレオンは首都モスクワを陥落させてしまえば、

中枢機能を失ったロシアは戦争継続できなくなり、降伏するであろうと思っていたそうです。

しかしロシアは各町・村が独立しており、

モスクワが占領されても戦争継続には支障なかったのです。

しかもロシア軍はモスクワ撤退の時に市街を焼いており、

ナポレオン軍が占領しても食糧・衣類・住居に役立つわけではなかったのです。

むしろなまじっか首都を占領してしまったために、

それを手放して撤退する時期が遅くなりました。

その結果、ロシアの冬の寒さと、モスクワは遠いことによる食糧等輸送の支障によって、

たくさんの死者を出してロシア遠征は失敗に終わったのです。

これも争奪してはならなかった土地の一例です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

妻・小林朋子のブログです。

「夢は叶えるためにある~あきらめない生き方」内容です。

https://ameblo.jp/doggytomoko/entry-12582095021.html



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