『孫子』戦わずして勝つ1~争うばかりが能ではない

こんにちは、古神道と東洋思想、兵学の研究家ヒデです。

百戦百勝は良いと思いがちですが、孫子は良くないと言います。



「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(第三 謀攻編)

戦争して全勝するのは、最善ではない。

戦わないで敵を屈する、つまり敵が攻めて来れないようにしたり

こちらの主張を通しやすくするのが最善だ、ということです。

このように戦わずして勝つことを重視しているのですが、なぜでしょうか?

それは、戦争は災いとなるからです。

兵士は国民の中から集められ、戦場に送られ、死に直面します。

もし国内が戦場になれば、兵士にならない一般国民も死の危険に直面します。

働き盛りの国民が兵士として送られれば、

農業・工業・商業の労働力・生産量が減少し、

戦地で物資を消耗するだけであり、経済活動が停滞します。

兵士つまり国民が死傷した場合には、

その分経済活動の回復ができず、戦費を賄う税金も少なくなります。

なにより悲しみによる暗い雰囲気が社会全体を覆うことになります。

国家にとっても、多額の戦費がかかり借金で補ったとしても、

税が減ることでより財政に影響が出ます。

たとえ戦争に勝っても、これらの影響は出ます。

疲弊がひどく、長期停滞に陥ることもあります(第二次世界大戦後のイギリス)。

戦況が思わしくないと、国民の不満が高まり、反体制活動も活発になり、

暴動・革命の恐れも出てきます(1905年の日露戦争時のロシアなど)

万が一、戦争に負けることになれば、国が滅亡することにもなりかねず、

国民もひどい目にあいます。

この勝者と敗者は文字通りヘトヘトになっていることもあります。

この疲弊した両者に言うことをきかせ、あるいは、滅ぼそうという、

漁夫の利を得ようとする第三国も現れる恐れがあります。

このように損害・危険の多い戦争は、災いなのです。

戦争は災いであると本心から分かっていれば、

勝算があったとしても軽々しく開戦しないでしょう。

ただし単純な戦争回避論ではありません。

知恵を用いて多大な損失・危険を出さず楽に勝てるような戦争は、やってもよいのです。

最初から戦争を回避するつもりだと敵からなめられますし、味方の士気も落ちます。

短期で被害を最小にし問題解決するためには、実力行使も必要な時があるのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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