運をアップするには、運をコントロールしようとしない

こんにちは、古神道研究家の小林英雄です。

前回「幸せになりたい」だと

「不幸せであることが必要になる」と書きました。

その続きです。

この記事の目次




1.思いにより現実が出来上がっている

おかしいですよね?

あることを願うと、

それが叶っていない状態が必要になる・前提となるなんて。

今を不幸せにしないと幸せになれないなんて。

「では幸せを願っちゃダメなのか?

不幸せのままいなけりゃならないのか?」

と思うかもしれません。

結論を言うと、

「すでに幸せだ」と評価することです。

思い込むことです、勘違いすることです。

そもそも現実は、思い・思考で出来上がっています。

人によって見えている世界が異なります。

海を見て「泳ぎたい」という人もいれば「怖い」という人もいます。

前者はあこがれ・快適の思いを抱いていますが、

後者は恐怖・避けたい思いを抱いているのです。

思いによって、異なる存在になります。

また普段は歯医者がそこにあるのに気づいていなかったのに

歯が傷みだしたら歯医者が気になり始め、

「あ、ここに歯医者があったか!」となります。

歯が痛くなる前には

その歯医者は存在していなかったようなものです。

思いによって、存在・不存在が決まります。

さらに、海もその上の空も青くて子供にとっては同じに見えます。

しかし親から

「あそこ(水平線)から下は海、上は空って言うのよ」

と教えられて初めて、海と空を区別します。

また「これは犬、これは猫」と教えられて

犬と猫は別の生き物だと区別します。

それまでは同じ生き物ととらえているのです。

動物園のハイエナを見て「犬!」と言っても

やはり親から「犬じゃないよ、ハイエナというんだよ」と教えられます。

チワワのような小型犬も土佐犬のような大型犬も犬だし、

ハイエナもシェパードみたいな中型犬に似ているのに、

ハイエナは犬ではないといわれて子供は「え!?」となりますが。

区別という知識・思いによって

見ている物の見え方が変わります。

このように思いで、現実・世界は見えます、形成されます。

だとしたら、「幸せ」「お金持ち」という思いを抱けば、

現実もそのように見えてきて形成されてきます。

2.思いによってフォーカスや理由付けが変わる

「幸せになりたい」=「今は幸せじゃない」という思いを抱くから、

幸せじゃないことにばかり目が行きます。

●豪邸にすんでいない、今は安いアパートに住んでいるから

●貯金が10万円しかないから

●恋人がいないから

●仕事でミスした

●通勤ラッシュにあう

●ひざがいたいから

もし「すでに幸せ」だという思いだと、

幸せにとらえるようになります。

●安いアパートでお金節約できる、今時こんな安いところないよ

●貯金あるだけいいよ

●恋人いなくて気楽

●仕事、この程度のミスで済んでよかった

●通勤ラッシュもこの程度で良かった

●ひざ痛くても歩けないほどではない

整体師から聞きましたが、施術終わった後に

「痛いところはありますか?」と聞くと

「そういえば、ここはまだ痛いなあ」と痛いところを探します。

そして実際に痛みを感じます。

逆に「良くなりましたか?」と聞くと

「痛みがとれてよくなりました」と答えるそうです。

後者の方が回復が早くて患者さんも満足されるとのことです。

子供のころ転んですりむいて痛い思いをすると、母や祖母が

「痛いの痛いの、飛んでけ~」とやってくれました。

呪文みたいですが、確かに痛みが少なくなります。

自然治癒力なのか、そのまま痛みが本当になくなります。

不思議ですね。

「病は気から」といいますが、本当にそうですね。

タバコを吸って暴飲暴食すれば病気になるかというとそうではなく、

気にしていない人はガンにもならないようです。

逆にタバコも酒もやらない人がガンになるのは皮肉なものですね。

ガンを気にすることで現実化させます。

3.なぜ「感謝しろ」と言われるのか

思いが現実を作り出す…

「幸せになりたい」との思いだと、

「幸せを夢見て、不幸せな状態」を作り出します。

「お金持ちになりたい」だと、

「お金持ちを夢見て、貧乏な状態」を作り出します。

ですから「○○になりたい」という願望をやめましょう。

代わりに

「すでに幸せだ」や「もうお金持ちだ」と思うようにします。

そう思えば、脳はそれにふさわしい事実を見つけます。

事実をそれにふさわしい解釈にしてくれます。

現実もそうなっていきます。

「すでに○○だ」と思うと次に出てくる思いは

「ありがたい」という感謝です。

だから感謝しろ、と言われるのです。

4.自力より他力(運)の方がパワーがある

「すでに○○だ」と思うと現実がそのようになる…

自力は使わない?何が現実化させるの?と疑問になります。

現実化させるパワーが「運」です。

運ってどんなものでしょう?

営業であまり苦労せず顧客をどんどん取れれば「運がいいなあ」と言われます。

翌日テストがあり「ここが試験に出るのでは?」と勘を働かせたら

ちょうどそこが問題に出た場合、これも運がいいと言われます。

逆に

苦労して何度も断られながら顧客をとれた場合や

試験範囲をくまなくしっかり勉強して点数を採れた場合には、

「実力で成果をあげた」と言われます。

つまり自力でないのが「運」ということになります。

自分以外の力…大宇宙のパワー、神仏のパワーです。

他力とも言います。

自力より他力の方が強いです。

仏教(浄土真宗)でも

自力でどうにかしよう(自力本願)より、

他力にお任せする(他力本願)方が現実になりやすいとされます。

親鸞聖人の悪人正機説といいますが、

悪人(自分の力の限界を認め阿弥陀如来の力にお任せする)が、

善人(自分の力で極楽浄土に往生できると考えている)よりも

極楽浄土に行けると考えるのです。

自力で何とかしようと考えていると、難しい…

それでも阿弥陀如来は、極楽浄土に往生させる、というのです。

5.自力はマボロシ

それでは

自力を捨ててリラックスしていればいいと思われます。

しかし「自力を捨てる」は

自分で何かをしようとしているので「自力」です。

「他力にしよう」も自分でそうしようとしているので、

「自力」です。

ではどうすればいいのか?

「○○になろう」「△△であろう」という自力自体が

マボロシだったと気づけばいいのです。

「自分は世界をコントロールできない」との気づきです。

自分の思い通りにならないことの悟りです。

ただそれだけです。

自力で運をアップ、コントロールしようというのも

的外れです。

自力でないのを運というから、

それをアップしようというのはおかしい…

それだけでなく

自力自体がマボロシ…だからです。

最後に自力を戒める話を紹介します。

実際に合った水難事故です。

山に囲まれた湖で、夜若者2人がボートでこぎだしました。

何かの事情でボートが転覆し2人は投げ出されました。

2人とも泳ぎは得意だったのに溺れ死にました。

何故おぼれたのだろう?

地元の人が説明しました。

「泳ぎに自信があるから、岸だと思った方にやみくもに泳いで、

しかし暗闇だったからまっすぐ泳げず、

同じ場所をぐるぐる泳ぐだけで、

力尽きておぼれたんだ」

「こういう時はオーイと叫ぶんだ。

周りが山だから、四方からやまびこが返ってくる。

早くやまびこが返ってきた方が、山が近い、

つまり岸が近いとわかるから、そっちに向かって泳ぐんだ。

正しい方向に泳いでいるか確かめるために、

時々叫ぶことを繰り返せば、岸につける。

あるいは明るくなるまでプカプカ浮いて、

それからちゃんと見える岸に向かって泳げばいい。」

この地元の人は「山の神が岸を教えてくれる」と言ったそうですが、

自力に対する過信の危うさがわかります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

幸せな大人婚カウンセラーの妻、小林朋子のブログです。

https://ameblo.jp/doggytomoko/entry-12504369590.html




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