こんにちは、古神道と東洋思想、兵法の研究家ヒデです。
獅子は子供を谷に突き落とし、這い上がって来れた子だけを
我が子として育てると言います。
狩りをするとき肉食獣は、草食獣に対して関心がない風を装います。
そのような話です。
「戦争を行う上での大切なことは、敵の心を十分に把握することである。
…
初めには少女のように物静かにしていると、敵は油断して隙を見せる。
後には脱走する兎のように激しく攻撃すると、敵は防ぐこともできない。」
(第十一 九地篇)
小国が大国と真正面から戦っては、簡単に踏みつぶされるだけです。
戦わないでいても、大国の圧力で併合されたり、言いなりの属国にされたりします。
勝てるように戦うには、初めは小心者のように装い、裏では慎重に準備を進めます。
相手が油断するように装いを継続し、周りの評判もそのようにさせてから、
豹変して激しく攻撃します。
油断していた相手はあわてて正常な防戦ができなくなり、
結果的にこちらの勝利になります。
相手が立て直す暇を与えないぐらいのスピードで攻撃します。
逆の立場から言うと、相手がおとなしくしていても、
本心を探らなければならないということです。
油断している素ぶりも見せないようにします。
「少女のように」とは、謙虚にしていろ、と読むこともできます。
高慢であったり目立とうとしたりすると、
嫉妬されたり恨まれたりして、たたかれます。
謙虚にしていて、自分のやりたいことを邪魔されず、
逆に協力者を得て実現する、ということです。
「これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。
衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。」(第十一 九地篇)
兵士たちを滅亡すべき状況に投げ入れてこそ、
初めて滅亡を免れ、死すべき状況に陥れてこそ、初めて生きのびるのである。
兵士たちは、そうした危難に陥ってこそ、初めて勝敗を自由にすることができるのである。
人間は、自分に危険が迫っていると実感できないうちは、
本当の力を発揮しようとしないし、必死にもならないものです。
生きるか死ぬかの危険な状況に陥ってから、必死になります。
そこで、戦況を有利に変えたいときには、
兵士たちをそのような危険な状況に持っていき、必死にさせて勝利につなげるのです。
背水の陣と同じです。
ただ、そういう危険な状況に持っていくのは、確かにリスクがあります。
しかし現状のままではズルズルと下り坂になり、
いずれは敗北に至ると予測できるのであれば、思い切った手段に出るのが、
生きのびる最善の手段だと思います。
あるいはそこまで深刻でなくても、前に進まないプロジェクトがあったときに、
梯子を外してやらざるを得ない状態にしてしまいます。
例えば、他部署から主力社員を引き抜いてこのプロジェクトの専任チームに任命します。
他部署が弱体化しこのプロジェクト・チームの成果に会社の命運がかかっている以上、
社員たちもプロジェクトに真剣にならざるを得なくなります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。