こんにちは、古神道と東洋思想、兵法の研究家ヒデです。
「味方の兵士に敵を攻撃して勝利を収められる力があることは分かっても、
敵のほうに備えがあって攻撃してはならない状況があることを知っていなければ、
必ず勝つとは限らない。
敵に隙があって攻撃できる状況があることは分かっていても、
味方の兵士が攻撃をかけるのに十分でないことが分かっていなければ、
必ず勝つとは限らない。
敵に隙があって攻撃できることが分かり、
味方兵士にも敵を攻撃する力のあることは分かっていても、
土地のありさまが戦ってはならない状況であることを知らなければ、
必ず勝つとは限らない。
敵のことも、味方のことも、土地のありさまも、
よくわかった上で行動を起こすから、
軍を起こして迷いがなく、合戦しても苦しむことがない。」(第十 地形篇 )
「今日、われわれが『孫子』を読むとき、地形についての記述はあまり意味を持たない。
むしろ、地形を、抽象的な場―立場や情況と理解して読んだほうが、
得るところが大きいかもしれない。
つまり、行動に移るときは、
自分が身を置いている立場や情況を慎重に検討すべしということだ。」
(守屋洋『「孫子の兵法」がわかる本』三笠書房 知的生き方文庫)
例えば、商売するときに売れる商品・上手い売り子がいたとしても、
店の立地が悪ければ、商売はうまく行きません。
性能のよい機械を劣悪な環境下で使えば、寿命を縮めてしまいます。
あるいは、良い結果を出す前に壊れてしまいます。
優秀な人材がいても、
平等主義・年功序列の名のもとに十分に活躍させる場・機会を与えなければ、
やる気を失い、去ってしまいます。
これらは、味方・敵に着目しても、
その戦いを行う地形(立場・情況)に着目していないことによります。
「通じ開けた地形の土地では、敵よりも先に高みの日当たりのよい場所を占めて、
兵糧補給の道を断たれぬようにして戦うと有利である。
往くのはやさしいが、帰るのが難しいのはさまたげのある土地である。
さまたげの地形では、敵に備えのない時は出て行って勝てるが、
備えがあるときは勝てず、戻ってくるのも難しくて不利である。
狭い地形の土地では、こちらが先にその土地を占めて、
必ず兵士を集めて敵のやってくるのを待つべきである。
もし敵が先にその土地を占めていれば、
敵兵が集まっているときはそこへかかっていってはならない。
険しい地形の土地では、こちらが先にその土地を占めて、
必ず高みの日当たりのよい所に居て敵のやってくるのを待つべきである。
もし敵が先にその場を占めていれば、
軍を引いてそこを立ち去り、かかって行ってはならない。
…
土地のありさまというものは、戦争のための補助である。
敵情をはかり考えて勝算を立て、
土地が険しいか平坦か遠いか近いかを検討して
それに応じた作戦をするのが総大将の仕事である。」(第十 地形篇)
軍隊がその力を十分に発揮できるような地形であるか判断し、
その地形を取るか去るかせよ、と言っています。
なるべく有利な場所・環境・状況に身を置き、
あるいは獲得し、あるいはそれを作って、
スタートラインを有利にしてから、有利にスタートするということです。
この一節について、
薩摩藩の軍学者、徳田邕興(ようこう、1738~1804)の解説の要旨が、
とても参考になるので、以下に書きます。
出典は、村山孚 訳『中国の思想X 孫子・呉子』徳間書店 です。
「地形に備わっている勝利の道をつかむのが、将の重要な任務である。
…古今の註釈がこの点を詳しく述べずに、
ただ六つの地形を解釈するだけにとどまってしまっているのは、
きわめてつまびらかでない。
六つの種類は地形の大目をあげたのであって、
どの地形も活用することができる…
通じ開けた地形がない時は陣のしき方で、
それと同じ効果を上げることができるのである。
さまたげの地形では、敵が先に居る場所には、
味方は後から入らないのが原則だが、
計画をもって敵を油断させておき、不意に攻め入った場合が良いこともある。
…地の利を占めている敵を攻めるべきではないが、
それだけに終わらず、敵の本国だとか他の大切な場所を攻め、
敵がせっかく占めている地の利を自ら手放さなければならないように仕向けることもある。
近付いて行ったほうが損なのが原則だが、おとりを使って敵を引き寄せる戦い方もある。
それぞれの地形に応じて無限に奇変を出すという生きた方法に上達すること…」
主導権を持って相手をかき回し、相手の占領している有利な地形を奪い取り、
自分が有利な地形に落ち着く…のです。
「人を致して人に致されず」(第六 虚実篇)のように、
敵が占めている有利な地形によって味方が苦戦して「致される」のではなく、
敵を追い出し、あるいは釣りだして、味方が有利な地形を得て「致す」のです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。