こんにちは、古神道研究家ヒデです。
あまり知られていないようですが、武蔵國一宮は大宮氷川神社のほかに
氷川女體神社もあります。
「女体」とも書きますが、この神社を紹介します。
この記事の目次
1.氷川神社とは~大宮氷川神社
「大宮」の地名の発祥となった大宮氷川神社は、
第五代孝昭天皇の時代に、
出雲国斐伊(ひい)川の杵築(きずき)大社~今の出雲大社ですが~
この神霊を分祀したのが始まりだと言われています。
「男体社」と呼ばれていたようです。
ご祭神は、
須佐之男命(スサノオ命)、稲田姫命(イナダヒメ命)、大己貴命(オオナムチ命)
という三柱の出雲の神です。
「氷川」も出雲の地名「斐伊川」「簸川」から取ったものだといいます。
しかし江戸時代から祭神や成立について諸説あったようです。
出雲の神ではない
イザナギ命・イザナミ命や饒速日命(ニギハヤヒ)などを祀ったとする説、
火の神を祀ったもので、鍛冶や製鉄にかかわる神社という考えもあるそうです。
江戸時代の『新編武蔵風土記稿』でも大己貴命としながらも
「昔から異論あり」と記述あります。
神社の祭神は後付けが多く、当初から出雲系の神社だったとは言えないようです。
さいたま市東部に、かつて見沼という大きな沼がありました。
この見沼という「自然」への畏敬の念から神社ができたと思われます。
2.見沼ほとりの氷川神社
今は「見沼」と書きますが、かつては「御沼」でした。
龍神様伝説の地域です。
この見沼のほとり、西の台地上に氷川神社が直線状に並んでいます。
左上から
大宮氷川神社(須佐之男命)~夫
中山氷川神社(大己貴命)~子孫
氷川女體神社(稲田姫命)~妻
です。
大宮氷川神社の方向つまり西北方向は、冬至の日没の方角、
氷川女體神社の方向つまり東南方向は、夏至の日出の方角、
というように季節・暦を知るために神社を配置したようなのです。
3.氷川女體神社
第十代崇神天皇の時代に創建されたと伝わります。
今から1500年以上昔です。
この神社のある地名は「宮本」、神社の根本という意味です。
このあたりは「三室」(みむろ)と言いますが、
「御室」から来たようで、その前は「三諸」(みもろ)が由来のようです。
三諸は全国にありますが、奈良県の大神神社の三輪山が有名。
「神」を表します。
うっそうとした森の中の本殿
摂末社も多数
巫女人形といいますが、
社務所でいただいて願いがかなったら
着物を着せてこちらに奉納するのだそうです。
いろいろな着物・ドレス?の人形があります。
4.磐船祭祭場
見沼がまだ広大な沼だったころまでは、
今の武蔵野線の近く、住所で言うとさいたま市緑区下山口新田ですが、
四本竹(しほんだけ)という見沼で最も深い場所に、
船で行き四本竹を沼に突き刺してお供えを捧げて
龍神様への祭祀を行っていたようです。
御船祭(みふねまつり)といいます。
江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の頃に
見沼は干拓されて今のような田畑になりました。
御船祭ができなくなったので、
氷川女體神社すぐそばに池とその中に陸地(島)を作って、
そこで祭祀を行うようになりました。
磐船祭といいます。
次の画像の右側にある、丸型フラスコのような祭祀場です。
氷川女體神社の鳥居・階段下に、この祭祀場への入り口があります。
赤い欄干の橋の先です。
この橋は見沼代用水西縁にかかっています。
余談ですが、見沼代用水についてです。
見沼が干拓されたために農業用水が不足しました。
足りない水を利根川から引いてくることにして作ったのが、
見沼代用水の東縁と西縁、2本です。
東縁と西縁の間に、
排水のための芝川(見沼中悪水ともいいます)があります。
祭祀場がこちらです。
4本の榊が植えられており、注連縄で囲われています。
この中で祭祀を行ったようです。
ここの見沼氷川公園には、龍神伝説の案内板がありました。
見沼氷川公園はのどかです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。