こんにちは、古神道と東洋思想、兵学の研究家ヒデです。
弱い水でさえも勢いで岩を押し流せる、そんな話です。
「激水の疾くして石を漂わすに至るものは勢なり。
鷙鳥の撃ちて毀折に至るものは節なり。
…よく戦う者は、その勢は険にしてその節は短なり。
勢は弩(ど)を引くがごとく、節は機を発するがごとし」(第五 勢篇)
この意味は…
激流が石を漂わせて押し流すのは、勢があるからである。
猛禽類が空中で失速した矢を翼でへし折るのは、節である。
…戦いに巧みな人は、その勢は激しく、その節は短く切迫させる。
勢は弓を引きしぼるようなもので、節は矢を放ったときのようなものである。
水は石に比べれば柔らかく、
普段は石を浮かべることも押したり壊したりすることもできません。
しかし、貯めて一気に流せば、石を押し流し、他の石にぶつけて壊すことができます。
濁流はコンクリートの堤防も決壊させることができます。
静止している鳥に矢を放つと、簡単に仕留めることができます。
しかし、飛び立っている鳥にとっては、
速く飛んでいる矢も勢を失った遅い矢のようなもので、
翼でへし折ってしまうことができます。
人・金・物・時間などは小出しにすると、
常に自分より優勢な敵と戦わざるを得ないので、勝てるはずがないのです。
小出しにせずに、貯めて大きくしてから、
一気に放出して最大の効果を得ようとするのです。
一つのことに集中することと言えるかもしれません。
戦争の歴史でも、君主や大名、将軍たちは皆大勢の兵士を集めて、
敵より大軍になるように努めてきました。
大軍だと損害を少なくできて楽に勝てるのです。
戦闘を行わなくても、敵が降伏してくることもあります。(豊臣秀吉の小田原出兵)
これも勢をつけることの一つの例になると思います。
また、少数精鋭の玄人が多数の素人に負けることもあります。
やはり、多数をそろえることが重要です。
勢のある水(激流)や矢でも、しばらくすると初めの勢がなくなってしまいます。
組織で言うとマンネリ化・事なかれ主義でしょうか。
こうなると、激流もただの水、矢もただの木の細い棒、
優秀な組織もただの人の集まり、になってしまいます。
勢いのあるうちに、短期で決してしまわなければならないのです。
鉄は熱いうちに打て、です。
短期戦を重視し長期戦を危険視する、
「拙速を尊び巧久を避ける」(第二 作戦篇)と共通しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あきらめない生き方をブログで発信している、
妻・小林朋子のアメブロです。今回は
~私に武器はいらない。あえて言うなら「感じる力」だ~というテーマです。
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