『孫子』の心理戦~こちらの思い通りに相手がなるには?こちらの力を発揮するには?

こんにちは、古神道と東洋思想、兵法の研究家ヒデです。

この記事の目次



1.相手の大事にしている物を知る

「相手に先んじて相手の大事にしているものを奪えば、

相手はこちらの思い通りになるであろう。」(第十一 九地篇)

中国の戦国時代、

魏の国が趙の国を猛攻撃し、その首都・邯鄲(かんたん)を包囲しました。

そこで趙は斉の国に救援を求めます。

救援軍・斉の将軍は、

「魏は主力軍をすべて趙の攻略に投入しており、魏の都・大梁は手薄になっている。

ここで大梁を攻撃すれば、

魏は趙の邯鄲の包囲を解いて、自国に引き返さざるを得なくなる。

包囲を解かせ、魏軍を疲弊させる…まさに、一石二鳥である」

と言って、趙の邯鄲とは全く別方向の、魏の都・大梁の攻撃に出陣したのです。

魏軍は、自国の都・大梁に斉の救援軍が向かったと聞き、

あわてて取って返します。

これを斉の救援軍が途中で待ち構えて、大勝利を収めました。

このように

「夢中になってしまった者や、もう一歩で目的が達成しそうな者は、

案外自分の足元が留守になってしまいやすい。

ライバルにとってそこが美味しい攻撃ポイントになる。」

(守屋淳『最強の孫子』日本実業出版社)

のです。

ビジネスなどで、交渉している相手が手ごわい相手だったとしても、

その愛する配偶者・子供を味方にしてしまえば、

交渉相手も柔軟になって来ます。

「どんな敵にも、愛するところ、他に知られると弱い泣きどころというものがあるもの。

そこを先手にとって、押えてしまうに限る。

すると戦いの主導権を握ることができ、敵軍は思いのままになるであろう。」

(中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』ビジネス社)

愛するものによって左右されるので、

そうならないよう、リーダーは愛を断つ・離れる、必要があるのです。

2.相手を協力できないようにさせる

「戦争の上手な人は、敵に前軍と後軍の連絡ができないようにさせ、

大部隊と小部隊とが助け合えないようにさせた。

身分の高い者と低い者が、上下の者が互いに助け合えないようにさせた。

兵士たちが離散して集合せず、集合しても整わないようにさせた。

こうして味方に有利な情況になれば行動を起こし、

有利にならなければまたの機会を待ったのである。」(第十一 九地篇)

敵が多人数だったとしても、

各部隊・各部署・各グループなどの集団が

互いに連絡し協力し助け合わないとします。

これは、少人数の集団が別々に存在し、

寄せ集めで敵の全体ができているのと同じことです。

それぞれを一つずつ潰していけば、大きな敵も倒すことができます。

ナポレオンをはじめとして名将は、

敵の人数が多くても、策により敵を分散させ、

逆に味方を集中させることで、小さくなった敵の各集団を各個撃破して、

最終的に勝ってきました。

具体的には、

こちらが1万人で敵が3万人いたとします。

1万人 vs 3万人では、勝ち目がないでしょう。

しかし敵が1万人ずつ分かれて、それぞれの1万人と対峙するなら、

1万人 vs 1万人と互角で戦えます。

もし

1万人 vs 5千人にすることができれば、楽に勝てるでしょう。

敵を5千人ずつに分かれさせて、それぞれと戦えば、3万人に勝てます。

では、どうすれば5千人に分けさせることができるか?

詐術を使います。

たとえば

・敵が「楽に勝てそうだ」と思うように、こちらを包囲させるように仕向ける

・敵が「あいつら何をしようとしているか分からないから、あちこちに守備隊を置こう」

と思わせる

・決断と実行を早くして、敵の大部隊3万人がそろう前に、先に到着した部隊からつぶす

など。

3.手を広げすぎた日本軍の失敗例

自ら兵力を分散して自滅したのが、太平洋戦争の日本軍です。

北はアラスカ・アリューシャン列島から、

南はソロモン諸島・ガダルカナル、西はインドのインパールまで。

手を広げすぎて食料や弾薬の補給が間に合わず、

弱っている所を米軍に攻撃されて壊滅。

インパールなどは食料がなくて餓死者ばかり。

要するに大風呂敷を広げるなということです。

4.組織同士いがみ合うと自滅する

連絡・協力・助け合うことができずに敗戦に至った例として、

戦前の日本陸軍と日本海軍の対立を挙げます。

「陸軍と海軍が真正面で戦争をして、その片手間でアメリカと戦争をしていた」

と言われるぐらい

日本陸軍と日本海軍は、仲が悪かったことで有名です。

陸軍がガダルカナル島に兵士や食糧・弾薬などを陸軍の輸送船で送っても、

海軍が護衛しないため、アメリカ軍の潜水艦などに撃沈され、

多数の戦死者と餓死者を出しました。

軍需物資を融通しあうこともなく、零戦などの技術もお互いに共有しなかったそうです。

このようになった原因はいろいろあります。

まず、より多くの予算・権限・名誉をぶんどり合う関係にあったことです。

陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥、という点もありました。

さらに、

陸軍は「おれたちは中国で苦労しているのに、海軍は遊んでいやがる」

海軍にすれば

「中国問題、解決できないくせにダラダラ戦争して、

おれたちは空母までだす羽目になった、とんだとばっちりだ」

という感情的な思いもあったと思われます。

さらに

陸軍には、近衛師団があり、宮城を護るのは自分たちだとの誇りがありました。

人数でも海軍を上回っていたことから、軍隊と言えば陸軍だとの意識が強かったようです。

海軍は、最新鋭の技術で作られた「かっこいい」軍艦をそろえていました。

陸軍と比べて少数精鋭で、それぞれがなんらかの専門技能を持ち、

志願で長期間の兵役に就いている人が大半であったため、

エリート意識があったようです。

互いのプライドがぶつかり合ったのでしょう。

陸軍はソ連が仮想敵であり、海軍は米国が仮想敵なので、

実際に連携する機会もありませんでした。

このように

過度に予算・権限・名誉を争うと各部署などの関係がぎすぎすし、

いざという時に助け合えにくくなります。

学閥・地方閥で部署を固めてはならないとも、言えそうです。

(仮想敵の件から)共通の目標をはっきりさせることが必要です。

これらが、「自分」の組織を守る方法になります。

逆に「相手」の組織を攻める方法にもなります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「夢は叶えるためにある」というコンセプトの妻、小林朋子のブログです。

「あきらめない」ために役立つ記事をアップしています。

https://ameblo.jp/doggytomoko/entry-12455244290.html


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