こんにちは、古神道研究家のヒデです。
人生とは何?なぜ生きているのか?
私もつらさを軽くできた(あきらめに近いです)ので、
役立つかもと思い書きます。
この記事の目次
1.人生ははかない
人生は期限付きの、実験会・演劇のようなものです。
はかない夢のようなものです。
長生きしてもせいぜい100年ほどです。
どんなにお金をためても、どれだけ権力をもっても、
どんなに名声・地位を得ても、
どんなに知識やスキル・技能を身につけても、
かならずそれらは奪い去られてリセットされます。
生まれる前のゼロの状態に戻されます。
豊臣秀吉の辞世の句
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
足軽の子として生まれ、全国の大名を束ねる天下人になった男です。
大阪城を始め多くの金銀を有するなど富裕を極めました。
その秀吉も死ぬ間際には、自分が死んだら何が残るのか。
権力も武力も財力も何もかもなくなる…
一人息子秀頼の身もどうなるか危うい…
朝日が昇れば蒸発して消える露や
目を覚ませば消え失せる夢のように
人生ははかないものであった、というのです。
釈迦が生病老死といったように、
誰もが、病気になり年老いて死にます。
避けることができません。
現在は平均寿命が80歳にもなっていますが、
ほんの70年前までは40代後半程度でした。
40歳・50歳なんてあっという間です。
本当にはかないものです。
2.今は夢ではないのか?
中国古典の荘子には、
昼寝中に自分が蝶になって飛び回っている夢を見たそうです。
主人公が思ったことは
「人である自分が、蝶になっている夢を見たのか、
蝶である自分が、人になっている夢を見ているのか、
どっちなんだろう、
この人生も夢ではないのか」
という話があります。
私もリアルな夢を見た後で、
夢から覚めている今も夢なんじゃないか?
と思うときがあります。
今この瞬間もあっという間に過ぎ去り、
過去の出来事になります。
だったら夢のようなものじゃありませんか?
過去のこと・子供の頃のことを
ありありと思い出すことがありませんか?
光景だけでなく、匂いや音や寒さ暑さ、手触り、
自分の感情・思いも
今この場にリアルに再現されます。
これも夢のようなものですが、
現在の状況は上の空で、過去のことに没頭しています。
目の前のことが目に入らないのです。
この瞬間の出来事は、どんどん過去のものになりますが、
過去のものはいくらでもこの瞬間に再現できる、
これって夢を見続けていることになりませんか?
現実も夢になり、過去のことも再現して(夢のようなもの)いるので。
3.生きていることが例外
そもそも人類何万年の歴史と言いますが、
亡くなられた方々(霊)は、当たり前ですが
生きている人より圧倒的に多いです。
霊は何万年もいますが、
私たちは数十年からせいぜい百年。
生きていることが例外なのです。
肉体を借りて、
空気を吸わせてもらい食べ物を食べさせてもらって
生きています。
災害や病気で亡くなる方もいますが、
「なぜ亡くならなければならないんだ?」
「良い人が先に亡くなって、不公平では?」と疑問に思ったこともありました。
しかし生きていること自体例外だと思えば、
疑問は幾分和らぎました。
4.この世に客として来た
伊達政宗公の遺訓に
「この世に客に来たと思えば、苦にならない。
食べ物がうまくなくても、ほめて食べろ。
客の身なんだから、好き嫌いを言うな」
とあります。
「こうありたい」との理想をもって、
それを実現できるよう努めることは大事だとは思いますが、
それにこだわりすぎるのは、苦になるので良くないでしょう。
使命を持って活動されている方は素晴らしいと思いますが、
重荷にならない程度の、ほどほどで良いのではないでしょうか。
「客に来ただけ」「数十年すればあの世へ帰っていく」
程度に考えていれば、気負わずにいれるのではと思います。
客に来たとはいえ
肉体を持っているからこそ経験できることが多々あります。
●飲食できる
●酔うことができる
●運動や工芸など肉体を使った活動ができる
…
物質界にいるからこそ体験できることもあります。
●木を伐りだして家屋を作る
●四季を味わえる
●自然の驚異に対処しようと知恵を絞る
…
それらを堪能すれば・楽しめばよいでしょう。
5.人生に期限があるんだから…
生きているとつらいことがある…といいますが、
ずっと続きません。
良いことも悪いことも楽しいこともつらいことも、
必ず終わりがあるのがこの世の摂理です。
生まれてきた以上、必ず死にます。
「仕事したくない」「人間関係が嫌だ」「人生って面倒くさい」
…期限が来れば人生は取り上げられます、死にます。
どうせ死ぬんだったら、
生きているうちにしかできないことをしてみます。
死んだら、やりたくてもやれないことを。
苦労だらけの人生だからといって、
気ままに生きている人より、
人生の時間が増えるわけではありません。
お金持ちにも貧乏人にも、性格の優しい人にも厳しい人にも、
聖者にも極悪人にも、
平等に1日24時間しか与えられていません。
大宇宙は、善人も悪人も分け隔てなく生かします。
人生100年といわれますが、
病気や事件・事故・災害で、人により短かったりします。
この限られた時間内で
「どう生きるか」「何をするか」「どんな人物を演じるか」
は各人にゆだねられています。
貧乏人の子に生まれ、お金持ちになった人。
お金持ちの子に生まれ、貧乏人になった人。
悩ましい親の子として生まれてながらも、
社会に貢献した人。
社会的地位のある親の子として生まれながらも、
問題行動を起こす人。
…
いろいろな生き方がありますが、自分で選択できます。
親や教師からの教え込み・社会常識を素直に受け入れると、
「こう生きなければならない」
に縛られますが、自由に決めていいのです。
「自分はこう思っている」
とのこだわりを持っている方もいますが、
自分からの束縛からも自由になって決めるのです。
6.なぜこの世があるのか
この世になぜ生まれているのか?
あの世・死後の世界はあるのか?
古今東西のたくさんの人たちが悩んできました。
臨死体験をした人の話も元に、まとめました。
あの世は肉体を有しないので、思ったことが現実化しやすいようです。
そして同じような波動の人たちが集いやすく、
異なる波動の人たちとは会えないそうです。
そこで、
思ったことが容易に実現しない肉体界・物質界に生まれることで、
頑張って努力の結果、ようやく思ったことが実現することの喜びを味わいたい、
実現しない悔しさを味わいたい、
異なる波動の人たちと出会い成長したい、
などの希望を持っている霊たちが、
肉体を得てこの世に生まれてきているそうなのです。
ただこの世は有限なので、
選ばれた者だけが生まれてこれるそうです。
つまり、
他にも生まれてきたかった霊たちに勝って、
生まれてきた私たちは、
生まれながらの勝者・選ばれし者、ということになります。
その数少ない権利を自ら放棄する自殺などは、
愚かな行為ということになります。
人生はギフトです。
7.時はどんどん過ぎ去る
速く走ることができてオリンピックで金メダルとっても、
数十年すれば、歩くこともおぼつかなくなります。
栄光は過去のものとなります。
徹夜しても翌日は平気で仕事できたるほど体力に自信あったのが、
40代になると身体がつらくて、ばてるようになります。
肉体を有していると、
過去にできたことが、できなくなることもあります。
振り返ってみてください。
私は今40代中盤ですが、
中学高校時代はなつかしいですが、
あれから30年たちます。
20代もあれこれ活動的でしたが、
20年たちます。
「月日の経つのは速い」といいますが、本当にそうです。
年を取るにしたがって加速しているようにさえ思えます。
…
「人生はあっという間」といいますが、
本当にそうだと思います。
無常(同じ状態でいることは無い)や「流れる川のごとく」や
「月日は百代の過客にして、ゆきかう年もまた旅人なり」などと
古来から言われます。
つまらないことで時間をつぶす暇はありません。
やりたいことや成長できることをしていくだけです。
いつ何時、事件や事故や病気などで
命を落とすかわからないのです。
だから好きなことを(「好きなことだけを」ではありません)、
とにかくやるのです。
好きでないこと・不得意なことはなるべく他の人に振ります。
人生ははかない夢なので、
そんなことにかかわっている暇はありません。
やらざるを得ないことは、なるべく楽しめるように工夫します。
それをしている時間も自分の人生の一部なので、
つまらなく行うのは、
自分の人生につまらない部分を作ることになるので、やめます。
8.親子の命のリレー
親子は一緒の時を過ごし、
親が先に死に、子も親になってさらにその子が生まれ、
その親は先に死ぬ…
親子が慕いあい、学び合い、
何世代にもわたってくる繰り返されます。
これを繰り返して
ご先祖さんから私たちにつながっているのです。
命のリレーです。
ご先祖さんの一人でも欠けたら、
私たちはいなかったでしょう。
人生は例外・客としてこの世に来た・人生はギフト
と書きました。
その機会を授けてくれた、ご先祖さんには感謝しかありません。
先祖供養というと古めかしい感じがしますが、
ご先祖さんに感謝して、活動を報告し、
この命を大事に生きるということです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
幸せ大人婚カウンセラーの妻、小林朋子のブログです。
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