意外に気づかない!無意識的な思い込みを捨てる

こんにちは、ヒデです。

こだわり・思い込み・執着…で生きるのを苦しくしているのが、人間です。

本人は普通だと思っていて、思い込みだとは気づいていないこともあります。

この例を挙げます。

気づけば「それおかしんじゃない?」と捨てることができます。

「祓」という言葉がありますが、

一般に霊的な除去ととらえられています。

しかし思い込みやこだわりも、人を縛って自由でなくしているので、

これらも祓うととらえます。

この記事の目次




1.自然のままにこだわらない

自然のまま、ありのままにこだわっている・執着しているのは、逆に不自然です。

ススメられたことを素直にやればいいでしょう。

「薬を使いたくない、免疫力を強化して病気を治したい」と

医師や薬に頼らないで治そうとするポリシーの方も多いです。

薬には副作用がつきもの。

身体にとっては異物の薬品なので、私もあまり使いたくないです。

しかし使うべき時もあります。

使わないと治りが遅く、その間つらい思いをします。

風邪ひいたとして治るまで1週間かかったとして、

その間グロッキーな表情でふらふらだったとしたら、

薬を服用しないことは、1週間分の時間と体力の無駄遣いだと思います。

薬を頼って早く回復した方が、価値的でしょう。

婚活で自然な出会いを求めていて、

合コンもパーティも結婚相談所にも行かない人もいます。

「作為的なのは好きじゃないので」

「そのうち運命の人に出会えるから」と言うのですが、

う~ん、どうなんでしょう。

そのうち出会えるかもしれませんが、

「自然な出会い」にこだわりすぎていませんか?

2.欲に素直になる

「ポテトチップスは身体に悪いから食べない」もいいでしょう。

保存料など化学物質が多いからです。

私もほとんど食べません。

しかしたまに食べてもいいんじゃないですか?

1年365日のうちその1日か2日だけ、あるいはもっと多いかもしれませんが、

その程度なら身体はほとんど影響を受けないでしょう。

なんせ身体は優秀な化学工場だからです。

たとえば

ビールジョッキのアルコールもあっという間に分解し(もちろん一気飲みはだめですが)

カツ丼や焼き肉食べても消化して、翌日か翌々日には排泄してくれます。

塩分多く摂取しても、便や汗で排出してくれます。

同じように

保存料なども分解・排出され、頻度が少ないなら身体に残りません。

気にすることは無いのです。

肉や酒も身体によくないという方がいますが、

同様に摂ってもいいじゃないですか。

本当は食べたいのに(身体が必要だと欲しているのに)

理屈で無理に我慢しないことです。

「一休さん」でおなじみの一休禅師は、

室町時代の風変わりなお坊さんだったようです。

だからこそ学ぶことが多いです。

一例ですが、僧侶に禁止されていた、

肉食・飲酒・女性とのセックスも堂々とおこなっていたそうです。

型にはまらずに、自由におもむくままに生きればよい、

そういう生き方の手本を見せていたようなのです。

欲があることで人生を楽しく生きることができるのに、

無理に抑え込むのはおかしい!と私も思います。

また別の話ですが

水かさの増した川を渡れなくて困っていた娘さんを、

ある僧侶がおぶって向こう岸へ連れて行きました。

それを見ていた他の僧侶は

「なぜ女に触れたのだ」と問い詰めます。

仏の道に専念すべき者は、肉とか酒とか女などを遠ざけなければならない。

それなのに女に近づいてしまった、

これは僧侶として問題ではないのかと。

そのおぶった僧侶は

「お前はまだ女のことを思っていたのか」と。

おぶった僧侶は、意識から女性を手放していたのに、

見ていた僧侶は、女性にこだわっていたのです。

3.こだわる思いの例

「アイツを絶対許さない!」

と恨みを持ち続けている人もいます。

しかしその人に執着しすぎではありませんか。

「まだその人のことが気になるのか~好きだねえ(笑)」

と言いたくなります。

嫌いな人・恨んでいる人・許せない人をずっと

「思い続けている」のです。

教材を学んでいるときに知った事例ですが、

旦那が暴力をふるうしお金を入れてくれないという女性のカウンセリングです。

カウンセラーが

「そんなに嫌な旦那ならわかれればいい」と言ったところ、

「人のことだと思って!

別れたら生きていけないでしょ!!」

お金を入れてくれないんだから、

別れてもどうってことないと思うのですが、

思い込みが強すぎると冷静に考えることができなくなるという事例でした。

「嫌な人とつきあわなきゃならないのが苦痛で…」という方。

「付き合わなければいい」と思うのですが、その方が言うには

「友達が減っちゃう」

「周りからあの人と別れたと思われてしまう」

「心が狭い人だと思われちゃう」

う~ん、どうなんでしょう?

友達なんて少なくていいじゃないですか、

たくさんいたら、あの人この人と時間やお金やエネルギーを消耗します。

周りの目を気にしすぎではないでしょうか。

他人のことにはあまり関心がないものです。

それに時間がたてば他人のことは忘れてます(笑)

私はあがり症だったことがあります。

今はセミナーやったりと人前で話をするのは大丈夫ですが、

かつては頭の中が真っ白になったり、声が出なかったこともあります。

「慣れろというから場数を踏んでいるのに、なかなかあがり症が治らない」

と私は思っていました。

ある時ふと思いました。

あがり症だからプレゼンや人前に出る役目を言いつけられない、

「しめしめ」と自分の潜在意識は思っているのではないかと。

それに気づいたら、無理して治そうとしなくなりました。

肩に力が入らなくなったら、楽に話しできるようになり、今に至っています。

「小さいころに波が怖かったトラウマがあり、海に入れない」ことがありました。

サップとフローティング(海に浮かんで瞑想する)ワークに思い切って参加しました。

波の静かな海でしたが、サップは簡単に操作できました。

フローティングも簡単に浮いて母親の胎内・羊水に使っている感覚と聞いたのですが、

海に包まれている感じで、海が怖いトラウマはどっかに行ってしまいました(笑)

海に行くのは面倒くさいとか思いがあって、それを正当な理由付けするために

トラウマを持ち出していたのかもしれないと思いました。

「私はこんなことされたの!忘れられるわけないじゃない!!」

本当にそうでしょうか?

「忘れてたまるか!死ぬまで恨んでやる」と

忘れない選択を、自分でしているのではありませんか?

以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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