先行き不透明だからこそ、今この瞬間に集中する~死ぬ覚悟は生き抜く覚悟

こんにちは、神道研究家ヒデです。

「過去はもう無い。未来もまだ無い。あるのは現在だけだ」

といいます。今この瞬間の積み重ねが人生です。

それについて書きました。

この記事の目次



1.今この瞬間が一番大事

明日死ぬかもしれないので、「今、楽しむ」という姿勢

買い物に行こうと思って外に出た瞬間(今自宅でこの記事を書いているので)、

車に轢かれて死ぬ可能性もあります。

だから今できること・楽しむことをしておかないともったいないのです。

「ビールがうまいなあ、生きててよかった」と飲む瞬間を楽しむようにしています。

日々これの連続です。

普通は「一歩出たら死ぬかもしれない」と思わないでしょう。

自分は平均寿命(80歳)くらいまで生きるだろうと思っています。

そんなこと何の根拠もないのに。

統計上の数字でしかありません。

そういう人の方が、スマホ見ながら道路や駅のホームを歩いて

事故にあって死ぬ可能性が高いのです。

「俺はスマホ見るときは立ち止まるよ」と言っても、

車道で立ち止まってスマホ見てたり

下り階段の途中でスマホ見てたり(笑)。

日通りの多い道の真ん中でしゃがんで靴紐結び直している人も、危ないです。

「自分はそうならない」と言う人が危ないと思います。

「事故にあうかも」と思っている人の方が注意するので、

事故にあう可能性は低いです(無いとは言いません)。

私も小学3・4年生くらいのときに、

横断歩道・青信号でわき見運転の車に轢かれたことがあります。

「事故にあうかもしれない」と思って注意して通行しています。

ただ最近は事故にあっていないので、

注意力がやや弱くなっているようです。

死なない程度の事故に、

またあっておくのもいいかもしれません(笑)。

ヒヤリハットといいますが、

「ヒヤリ」冷や汗をかいたこと、「ハット」驚いた焦ったこと、

これらは一般にないほうが良いとされます。

しかし全くないと気がゆるみがちなので、

多少あった方がよいのかもしれません。

2.今この瞬間ブレてしまわないように

やるべきことをしているのに

「俺はここでこんなことしていていいんだろうか」

「本当ならもっとお金持ちになって有名になっているはずなんだが」

と気持ちが揺れると、集中が途切れてしまいます。

そんな経験ありませんか?

私もそうですし、みんな経験あると思うのですが。

そうならないための、自分に言い聞かせる呪文(笑)が

「私がここにいるのは、宇宙が始まって以来宿命づけられている必然の出来事である」

と「なるべくしてなった」「運命だ」と断定するのです。

バカボンのパパの口癖が「これでいいのだ」(笑)ですが、

名言だと思います。

「これでいいんだろうか」と思ってしまう・言ってしまうから、

迷うのです。

いさぎよく「これでいい」と覚悟を決める・腹を据えることです。

私は高所恐怖症ですが、ジェットコースターに乗る時覚悟を決めます(笑)。

覚悟を決める練習のようなものです。

覚悟と言っても、デメリットを受け取る覚悟ではありません。

ジェットコースターに振り回される・気持ち悪くなるのを甘受するのではなく、

「味わってやろう・風を感じよう・景色を眺めよう」と

能動的な姿勢です。

同じように

「死ぬ覚悟」も「死んでもいい」ではなく、

「今を生き抜く覚悟」で命がけで生きるということです。

「この後外に出たら車に轢かれて死ぬかもしれない。

だから今を懸命に生きる」ということです。

この世に未練や執着がある人は、

失うのではという恐怖でやりたいこともやれないので、

「今を懸命に生きる」になりにくいです。

死んでも未練がましく亡霊になります。

これでは死ぬ覚悟ができていません。

パッと自殺するのは誰にでもできることで、死ぬ覚悟とは言いません。

3.ブレないように、と思わない

「煩悩をなくせばいい」と言いますが、

煩悩も雑念も無くすことはできないのです。

お釈迦さんも瞑想中に「悪魔が出てきて誘惑してきた」と

『スッタニパータ』とかいう経典に書かれていますが、

仏陀ですら煩悩・雑念をなくすことはできません。

死ぬ瞬間まであります。

ただ、執着しなくなればいいのです。

「執着しない」「執着から離れる」と言うことであって

「執着をなくす」ことではないのです。

お金があればいいのは当たり前で、

美味しいものを食べたいのは当然です。

大事なのは「あってもいいよ、なくてもいいよ」と言う状態になることです。

これが執着から離れるということです。

お金があったら楽しめるけど、無くても大丈夫、別の楽しみ方をする、と言うことです。

お金がないなら、

あるお金で安く楽しめる方法はないか?お金を全く使わないで楽しめないか?

と考えます。

ブレたり迷ったりしても「ブレないといいけど、ブレてもいいよ」です。

生きている以上ブレるのは仕方がない、元の軌道に戻ればいい、

それでいいのです。

高い年収や高い社会的地位を目指す理由がよくわからないです。

高い年収を望んでも、夜遅くまで仕事して休日も少なくて、

趣味や家族と過ごす時間も少なくなって、何が楽しいの?

社会的地位が高くなって有名になっても、

プライベートでも周りの目が気になる、なんてつらくないですか?

あるNHKアナウンサーが夜車が通ってない赤信号を渡ったら、

NHK放送局に「いついつ○○アナウンサーが赤信号無視してたよ」

と電話がかかってきた逸話を紹介していました。

変装して外出しなけりゃならなくなります。

外出を楽しめないですね。

そういうのを求める人はいていいと思いますが、

万人にピッタリ合う幸福の物差しは無いでしょう。

楽しさは他人と比べるものじゃなくて、自分で決めるものです。

4.予測って本当に大事?

未来を「世の中はこうなる」「これが流行する」などと予測しています。

しかし「一寸先は闇」で未来は未知で、何が起こるかわからないのです。

まさか2020年はコロナウイルスによって、

マスクやアルコール消毒で生活しなければならない、

などと予測できなかったでしょう。

「東海地震/首都圏直下地震は近いうちに来る」と言い続けられて30年40年。

その間に予測していなかった阪神大震災や東日本大震災が起きました。

「こうなるだろう」と予測を立てて、それと異なることが起きると、

驚いて思考停止になったりとんでもない行動をしたりするのです。

肝をつぶしたり腰を抜かすことのないよう、胆力を養うことが必要です。

胆力とは、慌てないこと・焦らないこと。

死ぬときに走馬燈が頭の中?に流れるみたいです。

今まで人生でやってきた名場面の総まとめとでもいうのでしょうか。

「こんなことやって楽しんだなあ」と言って死ねる、そんなエンディングにしたいです。

私たちは走馬燈の映像つくりプロデューサーでもあります(笑)。

今この一瞬やっていることは、走馬燈のための思い出作りのようなものです。

私はやりたいと思ってやってこなかった、絵画に挑戦し始めました。

上手か下手かそんなのどうでもいい、やりたいことに挑戦すること、です。

5.良寛和尚の言葉「ちょうど良い」

最後に江戸時代後期の良寛和尚の言葉を紹介します。

「地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところがちょうど良い」

「お前の人生は良くも悪くもない、お前にとってちょうど良い」

「幸も不幸も喜びも悲しみさえも、ちょうど良い」

とあります。

ブレたらブレたでしょうがないし、雑念出るのも当然でちょうど良い。

お金や名声を追い求めてかなえられなくても、それでちょうど良い~

また「死ぬときは死ね」と。

「死ぬ覚悟」で生き抜いてきたんなら、

ジタバタするな、死を受け入れろというのですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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