みんなリーダー学が必要~唐の帝王学『貞観政要』から

こんにちは、古神道研究家であり東洋思想家でもあるヒデです。

ときどき神道以外の記事もアップします。

神道だけが素晴らしいとは思っていません。

良いものがあればそれも取り入れます。

日本の良いところはそこです。

古代から仏教も儒教も陰陽道も、唐の文化・南蛮文化・西洋文化…

色々取り入れました。

そのためいろんな文化が日本にあります。

この記事の目次

1.短所ばかり見てないですか?

①「長」のつく人だけでなくあなたもリーダーです

逸話をあげます。

「貞観政要」のリーダー学 守成は創業より難し / 守屋洋 【本】

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この書物は中国・唐王朝の二代目、太宗李世民の政治の要点をまとめたものです。

帝王学・リーダー学の教科書として、北条政子や徳川家康などに読み継がれたとのこと。

この書物のエピソードを紹介します。

この書物はリーダー論ですが、

リーダーは、首相や社長や部課長だけではありません。

私たち一人一人もリーダーです。

他の人にどう接するか・引っ張っていくか・動きやすくするか。

「自分」に最高のパフォーマンスを得させるには?

「自分」をやる気にさせるには?

…これらを含みます。

つまり、同僚・部下・友人・妻・子供に接するあなたにも

リーダー論が必要です。

誰とも付き合わない仙人のような生活だとしても、

自分という相手をリード・動かします。

②役人の不評を聞いて怒った唐の皇帝

ある時、役人Aがやたら人から金品を借りるなど素行がおさまらないとの話が、

皇帝の太宗に入りました。

実はこの役人は、

太宗が「だれか良い人材はいないか」と大臣たちに聞いて、

大臣たちが「良い人物がいます」と推薦したものでした。

太宗は

「とんでもない者を推薦してくれたな」と

大臣たちに対して文句を言ったのです。

これに対して大臣の一人(魏徴)が答えて言うには、

「私どもは、人物を推薦する際には、いつも長所と短所を詳しく申し上げてきました。

彼Aについても、長所は物知りで判断力があり、正しいことを勇気を持って主張すること。

短所は生活が派手で金銭をむさぼることだと申し上げたはずです。

近頃彼は、文章を書いたり人に教えたりして謝礼を受け取っています。

私どもの申し上げた長所はまだ発揮されておりません。

陛下は彼の長所には目を向けず、短所だけを見て、

推薦した私どもを詐欺師呼ばわりされます。

まったく納得できません。」

…太宗は「よくわかった」と。

③短所に目をつぶり長所を活かす

欠点のない人間はいないし、

仕事のできるやり手の人物と言うのは、欠点・癖が多いのが一般的のようです。

短所に目を奪われて嫌ったり遠ざけたりしては、もったいないです。

彼らをどう使いこなすか、リーダーの器量が問われます。

長所を発揮できるように仕向け、短所は忘れるのです。

ただし本当に短所を忘れてしまうわけではなく、

短所を把握しておくが、目くじらを立てないと言うことです。

相手からみると、自分の良い所ばかりを見てくれて、

良くない部分は目をつぶっていてくれる、包容力があるように見えるでしょう。

長所を発揮できるように仕向けられることで、

成果も上がりやすくなり、部署全体の士気も上がることでしょう。

少なくとも、働きやすくなることは間違いないです。

人間はどうしても

短所や良くない部分・できない部分にフォーカスしてしまいがちのようです。

だからこそ意識して、

短所に目をつぶり長所にフォーカスするように努めます。

2.どれか一つにする必要ある?

①心を磨くためなら何でもいいのでは?

長所・短所の話は、歴史や宗教のいたるところにあります。

それをあげます。

そもそも日本人の文化の中心に「こころ」という概念があって、

これを磨くことが大切だという考え方があります。

どんな宗教・教えにもいい所はあり、

そのいい所取りをして、自分の「こころ」を磨けば、それでよいのでは?

宗教の教えと言うものはいわば磨き砂のようなもので、

お釈迦様でも孔子様でも八百万の神様でも、

その教えのいい所を使って「こころ」を清く正しくすれば良いのです。

これは江戸時代中期の学者、石田梅岩先生の石門心学という考え方です。

「宗教」という概念を中心にするのではなく、

「こころ」を中心として考えれば、手段はどんなものでもかまわないでしょう。

②一つに決めないから争いにならなくなる

どの教えが正しく、どの教えが悪いと言ったことは問題にはならなくなります。

儒教も仏教も神道もよい教えは「こころ磨き」においては同列になります。

人の進むべき道はいずれにもあり、いずれかに偏る必要はないのです。

正月に神社、葬式は仏教、結婚式はキリスト教、節操がない!

と批判されることも多々ありますが、その批判は当たりません。

「どれか一つでなければならない」必要があるのか?と聞きたいです。

こう考えると、宗教戦争は起こらなかったと思います。

なお一向一揆は織田信長など権力と一向宗の戦いであって、

一向宗vs天台宗、一向宗vs神道 ではなかったのです。

3.決めなければならない時はある

いろいろな考えでいいとは思いますが、匙加減は必要です。

悩んで迷って試行錯誤の上、どれかに決める必要はあります。

この本から例をあげます。

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①運も実力のうち~正しいのか?

入学試験で、たまたま前日に勉強したことが問題に出て、スラスラ解けた…

「運も実力のうち」とはいいながら、そこを勉強していたからスラスラ解けたのであって、

勉強していなければできはしないのです。

実力の発露以外の何物でもないでしょう。

②何もしなくて運は来ない

幸田露伴さんが言うには

器量の小さな人の言うこと→失敗は運命のせい、成功は自分の実力

器量の大きな人の言うこと→失敗は自分の努力や徳が足りなかった、成功は運

運が悪いと言って嘆いているような人には、運は向いてこないのです。

人生を積極的に生きている人にこそ、運命の女神はほほ笑みます。

③一つに集中して一心不乱に

秋山好古さん(日露戦争時の日本陸軍将校~坂の上の雲)いわく

「若い時に目標を持ったなら、余計なことは考えず、余計な行動もすべきではない」

余計な事を考えなければ迷う必要もないし悩む必要もなくなるでしょう。

単純な生き方にこそ、真の生き方があるのです。

④頑張ればなんとかなる、は危険

明治の軍人たちは、勝てないなら、騎兵にも機関銃を持たせようか、

というより実利的な考え方をしていました。

ロシアのコサック騎兵は体格が良くて日本兵は歯がたたない…

だったらコサックが来たら馬で戦わず、地面に伏せて下から狙い撃ちすればいい、と。

昭和の軍人のように、竹槍と大和魂でB29のアメリカを倒そう(本気?)などという

発想はしなかったのです。

鳥羽伏見の戦いで数も少ない薩長軍が徳川方に勝ったのは、

薩長軍が新しく射程距離が長い鉄砲を使っていたからです。

薩長軍の弾が届く時、徳川方の弾はまだ届かない、これでは勝負にならないでしょう。

こういったことを嫌というほど経験してきた人たちが維新政府のトップにいたから、

精神性を振り回すことなど決してなかったのです。

しかし昭和の軍人たちは生死をかけた戦いがなく合理性が身に染みておらず、

士官学校の卒業年次(先輩・後輩)や席次(成績順)や空気の読み合いが優先され、

精神性が強調されました。

大和魂とか気合とか頑張りとか、精神性を標榜しだすと危ないのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

妻が夢を叶えるためのブログをやってます。

今回はレイキの話を書いてます。

https://ameblo.jp/doggytomoko/entry-12580344658.html

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